澤田秀雄のプロフィールと来歴|電話1本・机2つから始めたHIS創業者の独学と失敗と再生

澤田秀雄のプロフィールと来歴|電話1本・机2つから始めたHIS創業者の独学と失敗と再生

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澤田秀雄は1980年に格安旅行会社HISを設立し、日本の旅行業界に革命を起こしたベンチャー起業家です。

スカイマーク設立やハウステンボス再建など、次々と難しい案件に挑戦し続けてきたその軌跡は、「失敗と再生」の連続でした。

この記事では、澤田秀雄のプロフィール・来歴から現在の活動、息子・澤田秀太へのバトンタッチまでを詳しく解説します。

澤田秀雄のプロフィールと来歴|HIS・スカイマークを生んだ起業家の生い立ちと独学経営

以下では、澤田秀雄の生い立ちからHIS創業・スカイマーク設立に至るまでの来歴を詳しく見ていきます。

生い立ちと大阪・生野工業高校時代

澤田秀雄は1951年、大阪府で生まれました。実家はお菓子の製造卸しを営む事業家の家庭で、幼い頃から親が遅くまで働き、良い時も悪い時も経験する様子を間近で見てきたといいます。そのためむしろ「将来は事業家になりたくない」と感じていたと、インタビューで語っています。

幼少期の澤田を特徴づけていたのは、ずばぬけた好奇心と旅への情熱でした。休みのたびに旅に出て、紀伊半島を自転車で一周したり、全国各地を旅したりしていたといいます。将来の夢は冒険家や宇宙飛行士で、「新しいものを見たくてしょうがなかった」と語っています。この好奇心は年商2,000億円超の会社を築き上げた後も、まったく衰えることはなかったとされます。

高校は大阪市立生野工業高校に進学し、1969年に卒業しました。まさにその年は日本の大学が学生運動の最盛期を迎えており、東大で初めて入試が行われなかった時代でもあります。まともに勉強できる環境ではないと判断した澤田は、日本の大学に進学せず、海外留学という道を選びます。その行き先に選んだのが、人気のアメリカやイギリスではなくドイツでした。「みんなが左に行けば右に行きたくなる。生来のあまのじゃくです」と本人も笑いながら語っています。

事業家にはなりたくないと感じていた少年が、やがて日本を代表するベンチャー起業家になるとは、誰も想像していなかったことでしょう。

ドイツ留学と独学ビジネスの原点

大阪・生野工業高校を卒業した澤田が向かったのは、旧西ドイツのマインツ大学です。留学期間は4年半に及び、その間に澤田は世界50カ国以上を旅しながら、独学でビジネスと投資の基礎を学んでいきます。

世界50カ国旅行と月100万円の学生ベンチャー

マインツ大学に在籍しながら、澤田は休みのたびにアフリカ・中南米・アジア・中近東など世界各地へと旅を続けました。しかし旅を続けるには当然資金が必要です。そこで思いついたのが、日本人観光客向けの通訳ガイドでした。

当時ドイツ語を話せる日本人は非常に少なく、そこに目をつけた澤田は、まず個人ガイドからビジネスをスタートさせます。やがて個人相手では効率が悪いと気づき、「日本語ガイドのナイトツアー」として企画を立ち上げました。ホテルのフロントマネージャーに頼んで自作のパンフレットを配ってもらい、ビアガーデンやレストランと交渉して音楽やショーをセットにしたツアーを作り上げたのです。マネージャーには成功報酬を払い、客も喜び、自分も旅行資金が貯まるという三方よしの仕組みでした。

このビジネスが大当たりとなり、1〜2カ月の活動期間だけで月100万円以上を稼ぎ出しました。「みんながハッピーになるビジネスって面白いな」と感じたこの経験が、のちのHIS創業の精神的な原点となっています。今でいう「学生ベンチャーの走り」ともいえる体験を、澤田は正規の経営教育なしに、まったくの独学で実現させていたのです。

フォルクスワーゲン株で数千万円を作った独学投資術

旅とビジネスを繰り返す中で、澤田は稼いだ資金を株式投資に回すことを決断します。当時は石油ショックの影響で世界中の株価が暴落していました。澤田が向かったのは大学の授業ではなく図書館でした。ひたすら株の流れを自分で調べ、分析を重ねた末に選んだのが、フォルクスワーゲンと日本の日立製作所の株です。

「フォルクスワーゲンが倒れるということはドイツが倒れることになる。ドイツがつぶれるはずがない」という独自の発想から安値で仕込んだ株は、数カ月後には1.5倍近くに値を戻し、投資額は数千万円にまで膨らみました。学校でも先生にも教わることなく、図書館の独学だけで積み上げた資金です。1976年に日本へ帰国した澤田の手元には、留学中のビジネスと投資で作り上げた数千万円という元手がありました。

格安旅行会社HISの創業と軌跡

帰国後の澤田は、まず毛皮の貿易事業を立ち上げようとしました。「海外を飛び回れる仕事がしたい」という気持ちから選んだ商社的な仕事でしたが、ちょうどワシントン条約が採択されて毛皮の輸入が厳しくなり、やむなく断念することになります。

次に目をつけたのが旅行業でした。当時の日本では、ヨーロッパへの航空券が往復70万円前後もしており、澤田はその高さをずっと「おかしい」と感じていました。団体料金で安く仕入れて個人にばら売りすれば本来の半額以下にできるはずだという確信を持ち、1980年12月、東京・新宿西口のビルの1階で株式会社インターナショナルツアーズ(現エイチ・アイ・エス)を設立します。オフィスには電話1本・机2つだけという、文字通りゼロからのスタートでした。

最初の1週間は客が1人も来ませんでした。小汚いオフィスに若いスタッフがいて「お金を先にいただいてチケットは空港で渡す」という説明では、信頼を得るのは難しかったといいます。起業から6カ月で資金が1,000万円以上消え、澤田は『徳川家康』や『孫子の兵法』『三国志』などの歴史小説を読み続けながら「継続は力なり」という言葉を胸に耐えました。

やがて「騙されてもいいから格安航空券を試してみよう」という客が現れ始め、「無事に旅できた」という口コミが徐々に広がっていきます。最初のヒット商品は、バンコク経由の「インド自由旅行」でした。大手旅行会社が手がけたがらないニッチな市場を次々と開拓し、1981年の年商は約3億円。その後6億・9億・12億・24億と倍増を続け、1989年には約164億円に達します。1995年3月には株式を店頭公開し、ソフトバンクの孫正義・パソナの南部靖之と並んで「ベンチャー三銃士」と称されるほどの存在となりました。

大手旅行会社からの圧力も激しく、エアラインへのプレッシャーで仕入れが止められたこともありましたが、複数の代理店を迂回させてチケットを確保する手法で切り抜けていきました。「正しいことをやっているという強い信念」が、業界の妨害を跳ね除ける原動力でした。

スカイマーク設立と航空業界参入

HIS株式公開で資金を得た澤田は、次の舞台として航空業界を選びます。1996年2月、スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)を設立しました。旅行業で格安航空券を売り続けてきた澤田にとって、「なぜこれほど高い運賃が続くのか」という問題意識は長年の積み残し課題でした。自ら航空会社を立ち上げることで、その構造ごと変えようとしたのです。

しかし、所轄官庁の運輸省(現国土交通省)との摩擦は予想をはるかに上回るものでした。「半額キャンペーン」という価格戦略が既存航空3社や業界から強く忌諱され、事業認可がなかなか下りなかったのです。自著『H.I.S 机二つ、電話一本からの冒険』の中で、澤田は「認可が下りたのは初飛行の予定前日の夕方4時ごろだった」と振り返っています。

1998年9月19日、スカイマークの一番機が羽田から福岡に向けて飛び立ちました。35年ぶりの新規航空会社の誕生で、格安運賃は爆発的な人気を集めます。しかし「大変な業界に足を踏み込んだ」とも感じた澤田は、その後スカイマークの経営から離れていきます。スカイマークは2015年1月に民事再生法を申請して経営破綻を迎えますが、澤田は創業者として事態を複雑な思いで見守る立場にありました。

澤田秀雄の現在|ハウステンボス再建・息子への引き継ぎ・資産まで

ここからは、ハウステンボス再建を経て現在に至る澤田秀雄の活動を追っていきます。

ハウステンボス再建と黒字化の秘訣

2010年4月、澤田秀雄はHIS会長を務めながら、長崎県佐世保市のテーマパーク・ハウステンボス(HTB)の社長に就任しました。開業以来18年間ずっと赤字が続いており、創業者・日本興業銀行・野村証券グループのファンドと次々と経営陣が変わっても誰も再建できなかった案件です。

「3回頼まれると断れない」引き受けた3つの理由

澤田は当初、ハウステンボス支援の要請を2度断っていました。3度目もアポイントを断っていたところ、佐世保市長がある朝アポなしで事務所の入り口で澤田を待ち構え、直接手紙を手渡したのです。「私は人から3回頼まれるとなかなか断れない性格」と語る澤田にとって、この3度目の直接訪問が転機となりました。

引き受けた理由として澤田は3つを挙げています。1つ目が「3度目の直接訪問」、2つ目が「数千億円をかけて作られた本物のヨーロッパ建築を廃墟にしてはもったいない」というチャレンジ精神、3つ目が「HTBがなくなれば九州観光が大打撃を受ける」という地域貢献の気持ちでした。「ビジネスは簡単ではないから挑戦したくなる。ベンチャー魂というか、チャレンジ精神ですね」という言葉は、HIS創業以来変わらない澤田の信条そのものです。澤田はHTBのホテルヨーロッパに居住し、住民票まで佐世保市ハウステンボス町に移すほどの覚悟で再建に臨みました。

わずか半年で黒字化させた3つの手法

社長就任後、澤田はスタッフ全員を集めて「3つのことをすれば黒字になります。皆でやりましょう。達成したらボーナスを出します」と宣言しました。具体的な手法は①毎朝15分の清掃を率先して行う、②明るく元気な接客に変える、③経費を2割削減する、の3点です。

10年以上ボーナスが出ていなかった現場は当初、「また社長が来て2年後にはお手上げで帰るだろう」という空気でした。しかし澤田自身が毎朝真っ先に掃除を始め、率先して明るく挨拶するうちに、スタッフも少しずつ変わっていきます。集客面では「花」「光」「音楽とショー」「ゲーム」をテーマにしたイベントを次々と打ち出し、大規模なイルミネーション「光の王国」が大ヒットとなりました。

2010年4月の就任からわずか6カ月後に黒字化を達成し、1年間の経常利益は約10億円。この奇跡的な回復は「澤田マジック」と呼ばれました。2015年9月期には経常利益104億円という記録的な水準に達し、また同時期に展開したロボットが接客する「変なホテル」チェーンも話題を集め、起業家・澤田秀雄が最も輝いた時期といわれています。

リクルート株詐欺と相次ぐ不祥事

順調に見えた澤田のビジネス人生でしたが、2010年代後半から相次ぐ問題が浮上します。

最大の汚点となったのが「リクルート株詐欺事件」です。澤田が資金提供をした石川という人物が、「東証未上場のリクルート株を安く購入できる」という話を信じ、詐欺グループのカモにされました。購入できるはずもないリクルート株に対して、最終的に50億円が消えてしまったのです。2019年3月、澤田はHIS株120万株を売却して約53億円を得て損失の穴埋めを行い、同年5月には社長を引責辞任しました。

さらに、コロナ禍には子会社2社が「GoToトラベル」の給付金を不正に受給していた問題が発覚し、2021年12月に澤田会長ら取締役3人の報酬が減額されました。雇用調整助成金の不適切受給も明らかになり、違約金を含む返還を行っています。こうした一連の問題を受け、2023年2月1日、澤田秀雄はHIS会長兼グループCEOを退任し、取締役最高顧問に就任しました。

息子のプロフィールとHIS社長就任

澤田秀雄の長男が、澤田秀太(さわだ・ひでたか)です。1981年11月2日、東京都生まれ。学習院大学経済学部を卒業後、日興コーディアル証券(現SMBC日興証券)に入社しました。その後、2012年にクルーズ専門旅行会社ベストワンドットコムの代表取締役社長、2016年にファイブスタークルーズの代表取締役社長に就任するなど、旅行・クルーズ分野で経営経験を積みます。

2020年1月にHISの取締役に就任し、情報システムDX推進・AIイノベーション本部長・国内個人旅行営業本部長・投資戦略本部長などの要職を兼任しました。2026年1月28日付けで、HISの代表取締役社長に正式就任。「AI・テクノロジーを用いた攻めの戦略にスピード感を持って取り組む」という方針のもと、父とは異なるスタイルでHISの新時代を切り開こうとしています。就任メッセージでは「スピードと挑戦」を最重要方針として掲げており、創業の原点である旅行事業の深化と新成長領域への挑戦の両立が期待されています。

現在の活動内容とキムラタン株保有

HIS会長・社長の座を離れた澤田秀雄ですが、現在もビジネスの第一線に立ち続けています。2026年1月28日時点では、HIS取締役最高顧問を務めながら、H.I.S.ホテルホールディングス株式会社の代表取締役会長兼社長として「変なホテル」を中心とするホテル事業を引き続き指揮しています。

また、子供服ブランドを展開する上場企業・キムラタン(東証スタンダード:8107)の株式を大量保有していることが注目されています。2026年1月提出の変更報告書によれば、澤田秀雄氏と共同保有者による保有割合が17.58%から19.86%に増加しており、発行済み株式の約5分の1を保有する大株主となっています。

なお、「澤田秀雄 彫刻」というキーワードで検索すると、同名の彫刻家・沢田英男氏の情報が混在することがあります。沢田英男氏はHIS創業者の澤田秀雄氏とは全くの別人ですので、混同しないようご注意ください。

資産724億円と非公表の妻・家族

日本人資産家ランキングでは、澤田秀雄は28位・724億円の資産を持つとされています。HIS設立から数十年にわたって積み上げてきた事業資産・株式・投資利益が原資とみられます。

一方、妻(配偶者)については公開されている情報がほとんど見当たりません。多数のメディアやインタビュー記事でも家族のプライベートについて語られることはほとんどなく、澤田秀雄の妻に関する情報は現在のところ非公表です。家族としては長男の澤田秀太がHIS社長として表舞台に立っており、父子でHISと関連事業を支える体制が続いています。

澤田秀雄の来歴と現在まとめ

  • 1951年大阪府生まれ。大阪市立生野工業高校卒業後、旧西ドイツ・マインツ大学へ留学
  • 留学中に世界50カ国以上を旅し、独学でビジネス・株式投資を学んで数千万円の資金を形成
  • 1980年12月、新宿西口で電話1本・机2つからインターナショナルツアーズ(現HIS)を創業
  • 格安航空券ビジネスで急成長し、1995年に株式公開。1996年スカイマークエアラインズを設立
  • 2010年にハウステンボス社長就任。18年連続赤字を半年で黒字化させ「澤田マジック」と呼ばれる
  • リクルート株詐欺(50億円被害)・GoToトラベル不正受給など不祥事で2019年に引責辞任
  • 2023年に会長兼CEO退任。現在はHIS取締役最高顧問とH.I.S.ホテルホールディングス会長兼社長を兼務
  • 長男・澤田秀太が2026年1月28日付けでHIS新社長に就任。資産は日本人ランキング28位の724億円

澤田秀雄の人生は、「みんながハッピーになるビジネスを作りたい」という信条のもと、好奇心とチャレンジ精神で失敗と再生を繰り返してきた軌跡です。電話1本・机2つから始まった格安旅行の革命は、旅行・航空・テーマパーク・ホテルと事業を広げながら、今も形を変えて次の世代へと受け継がれています。

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