辻井伸行のすごさは音色にあった!日本人初の世界一を支えた3つの能力

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「辻井伸行 すごさ」と検索する人は、たぶん一度その演奏を聴いています。

そして、うまく言葉にできなかったのだと思います。何がそんなに違うのか、と。

調べてみると、その「すごさ」には具体的な中身がありました。

この記事では、辻井伸行さんのすごさを、音色・技術・記憶・実績の順に解き明かしていきます。

辻井伸行のすごさは音色にある|世界が認めた実力の正体

まずは演奏そのものの話から始めます。

  • 真珠が転がるような音色
  • 目で見ずに88鍵を捉える技
  • 耳だけで曲を組み立てる暗譜
  • 日本人初となった世界一
音色の評価 「真珠が転がるよう」「濁りのないクリスタルのよう」
最大の実績 2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝
その意味 日本人として初めての快挙
暗譜の方法 分割された音源を耳で組み立てて記憶
原点 2歳でおもちゃのピアノを弾きこなす
恩師 川上昌裕さんに6歳から19歳までの12年間師事

真珠が転がるような音色

辻井伸行さんの演奏を語るうえで、絶対に外せないのが音の美しさです。

多くの音楽評論家やファンが、その音をこう表現します。「真珠が転がるよう」「濁りのないクリスタルのよう」。

詩的な比喩ですが、聴いたことがある方なら「ああ、その感じ」と思うのではないでしょうか。同じピアノ、同じ曲なのに、音そのものの質が違って聞こえる。あの現象には、いくつかの理由があると言われています。一体なぜ、あんなに綺麗な音が出るのでしょうか。

ひとつ目が、研ぎ澄まされた触覚です。辻井伸行さんは指先の感覚が非常に鋭く、鍵盤に触れるスピードや強さをミリ単位でコントロールしているとされています。ピアノは鍵盤を押せば音が出る楽器ですが、押し方の違いがそのまま音色の違いになる楽器でもあります。その微差を、指先で描き分けているわけですね。

ふたつ目が、余計な力みのなさです。視覚情報に頼らない分、体全体の感覚を研ぎ澄ませ、リラックスした状態で打鍵している。だから音が潰れず、美しく響くのだと説明されています。力めば力むほど音が硬くなるのがピアノですから、これは大きな違いです。

三つ目が、濁りのない倍音です。一つ一つの音がはっきり独立して聞こえるため、和音になったときの響きが非常にクリアになります。複数の音を同時に鳴らしても、混ざって濁らない。あの透明感の正体は、ここにあるわけですね。

面白いのは、この三つがどれも「引き算」で説明できる点です。力まない、濁らせない、余計なものを足さない。派手なことをして音を作っているのではなく、雑味を削ぎ落とした結果があの音になっている。だから真珠やクリスタルという、透明なものに例えられるのでしょうね。

技術的に言えばそういうことなのですが、聴いている側はそんな分析をしません。ただ「きれいだ」と感じるだけです。その素朴な感動の裏に、これだけの精度が積み重なっている。それが辻井伸行さんの音色のすごさです。

目で見ずに88鍵を捉える技

次に、演奏の物理的な難しさの話をします。音色は感性の問題だと片付けられても、こちらは誤魔化しが効きません。

ピアノには、88個もの鍵盤が並んでいます。端から端まで、大人が両手を広げても届かないほどの幅です。そして激しい曲になると、右から左へと手が大きく飛ぶ「跳躍」という動きが必要になります。

辻井伸行さんは、この跳躍を目で見ることなく完璧な精度でこなします。

これがどれだけ異常なことか、想像してみてください。目を閉じたまま、1メートル以上離れた場所にある幅2センチほどの鍵盤を、一発で正確に叩く。しかも猛烈なスピードの曲の途中で、何度も。ミスが許されない本番の舞台で、です。

この芸当は、練習の賜物だけでは説明がつきません。辻井伸行さんの脳内には、完璧な「ピアノの地図」ができあがっているのだと言われています。

その仕組みは、いくつかの能力の組み合わせだと解説されています。まず、絶対的な距離感です。自分の体の中心から鍵盤の端までの距離を、完璧に体で記憶している。次に、黒鍵のガイド。黒い鍵盤は白鍵より盛り上がっていますから、その並びを触覚で瞬時に判断して現在地を把握します。

そしてもうひとつ、興味深い説明があります。音の響きの跳ね返りなどによって、ピアノ周辺の空間を立体的に捉えているのではないか、というものです。音でホールの形を感じ取る。もしそうだとすれば、辻井伸行さんは私たちとはまったく別の方法で世界を「見て」いることになりますよね。

考えてみれば、私たちも自分の家の中なら暗闇でも歩けます。体が空間を覚えているからですね。辻井伸行さんにとってのピアノは、それと同じくらい体に馴染んだ場所なのでしょう。ただし、その「家」は88の部屋があり、コンマ数秒で目的の部屋にたどり着かなければいけません。

目で見て弾く人が、目で見ずに弾く人に精度で負ける。そんなことが実際に起きているわけです。

耳だけで曲を組み立てる暗譜

ここが、個人的にはいちばん驚いたところです。

クラシックの難曲は、何千、何万という音符が詰まった、何十ページにも及ぶ楽譜から成り立っています。通常のピアニストは、それを見ながら練習します。ところが辻井伸行さんは、楽譜を見ることができません。

では、どうやって曲を覚えるのか。その暗譜の方法は、非常に特殊なものでした。

使うのは、専用の練習用音源です。「右手パートだけ」「左手パートだけ」「ゆっくり弾いたもの」など、細かく分けられた音源を用意します。それを耳で聴き、パズルのように組み立てて記憶していくのです。

部品ごとに聴いて、頭の中で合体させる。この工程を、何十ページぶんの音符に対して行うわけですね。しかも一度聴いた音の構成を完璧に理解する「超人的な耳」があってこそ成立する方法です。

さらにすごいのが、覚えているのが音だけではないという点です。作曲家が伝えたかった感情まで含めて耳から吸収し、自分の中に「心の楽譜」を作り上げていると語られています。

楽譜というのは、本来ただの記号の羅列です。そこから感情を読み取るのは演奏家の仕事ですが、辻井伸行さんの場合、記号を経由せずに直接感情ごと受け取っていることになります。もしかすると、楽譜を見ないほうが作曲家に近いのかもしれない。そんなことすら考えてしまいますよね。

もうひとつ付け加えるなら、この方法は本人が一人で編み出したものではありません。分割された練習用音源を用意する人が必要です。誰かが曲を分解し、テンポを落として弾き、録音する。その地道な作業があって初めて、この暗譜法は成立します。すごさの半分は、周囲が作ったとも言えるわけですね。

ちなみに本人にとって、ピアノを弾くことは呼吸をすることや話をすることと同じくらい自然なことなのだそうです。これだけの工程を経ていながら、本人の感覚としては「自然」。そこがまた、すごいところです。

日本人初となった世界一

音色も、空間把握も、暗譜も、突き詰めれば周囲の評価にすぎません。ところが、それを誰にも否定できない形で証明した出来事がありました。2009年のことです。

ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本人として初めて優勝を果たしたのです。

世界最高峰のピアノコンクールの一つです。そこで日本人初。この「初」という言葉の重みは、クラシック音楽の歴史を考えるとかなりのものがあります。クラシックは本場が欧米の音楽ですから、日本人が頂点に立つこと自体が容易ではありません。何十年もの間、誰も届かなかった場所だったわけですね。

そして、審査員の一人が残した言葉が強烈でした。

「彼の演奏は奇跡だ。そこにいた誰もが涙した」

ここで、大事なことを確認しておきたいと思います。この評価は、同情ではありません。

ハンディキャップがあるからすごい、という話ではないのです。一人のピアニストとして、他の誰よりも美しく、感動的な音楽を奏でた。それが認められた瞬間でした。コンクールは音だけで競う場です。事情を汲んでもらえる場所ではありません。その舞台で頂点に立ったという事実が、すべてを物語っています。

コンクールというのは、残酷な場所でもあります。何十人もの若い演奏家が、同じ曲を弾いて比べられる。審査員は毎日似た演奏を聴き続け、耳は肥え、感動しにくくなっていきます。その状態の人たちを泣かせたわけです。惰性で聴いていた耳が、途中から前のめりになる。そんな光景が浮かびますよね。

その後もカーネギーホールでのリサイタルなど、世界中の名だたるステージで活躍を続けています。一度きりの奇跡ではなく、続いている。これもまた、実力の証明ですよね。

辻井伸行のすごさを育てた12年間の物語

では、その実力はどうやって生まれたのでしょうか。

  • 2歳でピアノを弾いた原点
  • 恩師と歩んだ12年のレッスン
  • 名門レーベルが選んだ日本人
  • 辻井伸行のすごさと功績まとめ

2歳でピアノを弾いた原点

ここまで演奏の中身を見てきましたが、では、その実力はどこから来たのでしょうか。すべての始まりは、驚くほど早い時期でした。

辻井伸行さんは、わずか2歳でおもちゃのピアノを弾きこなす天才だったといいます。

2歳です。まだ言葉もおぼつかない年齢ですよね。その子が、おもちゃのピアノで曲を弾く。教わったわけでもないのに、です。楽器を習い始める年齢としても、圧倒的に早い。多くの子はまだ、鍵盤を叩いて音が出るのを面白がっている段階でしょう。

この一点だけで、辻井伸行さんの音楽的才能が生まれつきのものだったことが分かります。訓練で身につけた耳ではなく、最初から持っていた耳。だからこそ、後に「一度聴いた音の構成を完璧に理解する」という芸当ができるわけですね。努力で埋められる差ではありません。

ここで考えたいのは、この才能がどう扱われたかです。天才児というのは、扱いを間違えると簡単に潰れます。周囲が「すごい子だ」と持ち上げるだけで終わってしまうケースも珍しくありません。話題になった子役や神童が、いつの間にか消えていく。そんな例は、どの分野にもありますよね。

ましてや辻井伸行さんの場合、楽譜を見て学ぶという一般的な道は使えませんでした。ピアノを教えるということは、通常は楽譜を教えることとほぼ同義です。その前提が成り立たない生徒に、どうやって世界最高峰の技術を叩き込むのか。

そもそも2歳の子が弾いた「おもちゃのピアノ」というのが、また象徴的です。本物の楽器ではありません。鍵盤の数も足りなければ、音程も怪しい代物でしょう。それでも弾きこなしてしまった。楽器の性能ではなく、耳と手だけで音楽を成立させてしまったわけですね。この時点で、すでに後の暗譜法につながる資質が見えています。

答えを持っている人は、どこにもいませんでした。前例がないのですから当然です。この難題に、一人の若い先生が正面から挑むことになります。

恩師と歩んだ12年のレッスン

その先生の名前が、川上昌裕さんです。東京音楽大学の先生でした。

辻井伸行さんは、6歳から19歳までの12年間、この川上先生に教わり続けました。

これは、かなり異例なことです。プロのピアニストを目指す人が、1人の先生に長期間習うことは珍しいのだそうです。普通は、段階に応じて先生を変えていきます。それを12年間、同じ先生と。

しかも二人の出会い方が、また劇的でした。当時の川上先生は、ウィーン留学から帰ったばかり。そして6歳の辻井伸行さんが、川上先生にとって初めての生徒だったのです。

初めての生徒が、楽譜を見られない天才児。普通なら、荷が重すぎると断ってもおかしくない状況ですよね。ところが川上先生は、その才能の大きさと個性に魅了され、指導を決意します。

そこからが、壮絶でした。技術、感覚の両面から徹底して辻井伸行さんの立場で考え、何もかも手探りで独特のレッスンを編み出していったのです。教科書はありません。前例もありません。目の前の生徒だけを見て、方法をゼロから作る。すべては、教え子の才能を自由に大きく伸ばすためでした。

この12年間の物語は、2010年に放映されたNHKの番組「こころの遺伝子」で取り上げられました。そしてその取材をもとに、『辻井伸行 奇跡の音色 恩師との12年間』という本が書き下ろされています。

胸を打つのは、ここからです。辻井伸行さん自身も、川上先生が幼い自分に教えるために裏でどれだけの努力をしてくれていたのか、この番組で初めて知ったのだそうです。

先生は、それを言わなかったわけですね。分割した練習用音源を作るのも、独自の教え方を編み出すのも、すべて舞台裏の作業です。生徒には見せない。ただ、レッスンをする。

そしてヴァン・クライバーンの優勝を、川上先生はインターネット中継で知りました。仕事柄、コンクールに帯同することはできなかったのです。12年間かけて育てた教え子が世界一になる瞬間を、日本の画面越しに見ていた。この距離感が、なんとも言えません。

名門レーベルが選んだ日本人

そして辻井伸行さんの評価は、コンクールの優勝で止まりませんでした。むしろ、いまも更新され続けています。

近年の大きな出来事が、名門ドイツ・グラモフォンとの契約でした。日本人ピアニストとして初となる専属契約です。

ここでも「日本人初」です。ヴァン・クライバーンで日本人初の優勝を果たした人が、レーベル契約でも日本人初を刻む。前人未到の道を、二度歩いていることになります。しかも一度目と二度目の間には、長い年月があります。若いうちの快挙で終わらず、キャリアを重ねた先でもう一度「初」を達成したわけですね。

ドイツ・グラモフォンは、クラシック音楽における最高峰のレーベルのひとつです。歴史上の巨匠たちが名を連ねてきた場所ですから、そこと専属契約を結ぶということは、世界の第一線に完全に組み込まれたことを意味します。

そしてデビュー・アルバムに選ばれた曲目が、また挑戦的でした。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》です。ピアノ曲の中でも屈指の難曲として知られ、演奏時間も長く、演奏家の総合力が容赦なく問われる作品ですね。

無難な人気曲で様子を見る、という選択肢もあったはずです。有名な小品を集めれば、聴きやすくて売れやすいアルバムになったでしょう。それをせず、いきなり最難関に挑む。この選曲そのものが、自分の実力への宣言だったようにも見えます。結果としてこのアルバムは高い評価を受け、欧米での人気を不動のものにしました。

この契約には、もうひとつの意味があります。コンクールの優勝は、一時点の評価です。ところがレーベルの専属契約は、この先何年も一緒にやると決めるということ。つまり2009年の優勝が偶然ではなかったと、世界最高峰のレーベルが太鼓判を押したわけですね。

2歳でおもちゃのピアノを弾いた子どもが、12年のレッスンを経て世界一になり、名門レーベルの看板を背負う。その道のりを思うと、《ハンマークラヴィーア》という選曲にも納得がいきますよね。ここまで来た人が弾くべき曲だったのでしょう。

辻井伸行のすごさと功績まとめ

ここまでの内容を整理します。

  • 音色は「真珠が転がるよう」「濁りのないクリスタルのよう」と評される。ミリ単位の触覚、力みのない打鍵、濁りのない倍音がその理由とされる
  • 88鍵の跳躍を目で見ずに完璧な精度でこなす。絶対的な距離感、黒鍵のガイド、音の跳ね返りによる空間把握がその仕組み
  • 暗譜は「右手だけ」「左手だけ」など分割された音源を耳で聴き、パズルのように組み立てて記憶する特殊な方法
  • 音だけでなく作曲家の感情まで耳から吸収し、自分の中に「心の楽譜」を作り上げているという
  • 2009年、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人として初めて優勝。審査員は「彼の演奏は奇跡だ。そこにいた誰もが涙した」と語った
  • この評価は同情ではなく、一人のピアニストとして誰よりも美しい音楽を奏でたことへのものだった
  • わずか2歳でおもちゃのピアノを弾きこなす天才だった
  • 川上昌裕さんに6歳から19歳までの12年間師事。川上先生にとって初めての生徒であり、独特のレッスンを手探りで編み出してもらった
  • その先生の努力を、辻井伸行さん自身はNHKの番組で初めて知った
  • 名門ドイツ・グラモフォンと日本人ピアニストとして初の専属契約。デビュー作《ハンマークラヴィーア》は高い評価を受けた

「辻井伸行 すごさ」の正体は、ひとつではありませんでした。

生まれ持った耳があり、それを12年かけて磨いた先生がいて、前例のない方法を二人で作り上げ、その結果として世界一になった。どれか一つが欠けても、いまの辻井伸行さんはいません。そして忘れてはいけないのが、審査員の言葉です。奇跡だと言われたのは、境遇ではなく演奏でした。技術を見せつけようという邪念がなく、ただ音楽そのものに没頭する。その純粋さが指先から音になって溢れ出す。だから聴いた人は泣いてしまうのでしょうね。

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