記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
数々の映画やドラマで、渋く重厚な存在感を放つ俳優・大森南朋さん。
その独特な芸名や雰囲気から、「大森南朋さんの父親はどんな人なの?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
結論から言うと、大森南朋さんの父は、世界的に知られる暗黒舞踏家であり俳優でもある麿赤兒さんです。
この記事では、大森南朋さんの父・麿赤兒さんの読み方や経歴、そして知られざる親子のエピソードまで、まるごと整理して解説していきます。
目次
大森南朋の父・麿赤兒は世界に名を知られる舞踏家
まずは、大森南朋さんの父がどんな人物なのか、その肩書きや経歴を順番に見ていきましょう。
| 父 | 麿赤兒(まろ あかじ)さん |
| 本名 | 大森宏(おおもり ひろし)さん |
| 職業 | 舞踏家・俳優・演出家 |
| 主宰 | 暗黒舞踏集団「大駱駝艦」 |
| 出身 | 石川県金沢市 |
| 家族 | 長男・大森立嗣さん(映画監督)、次男・大森南朋さん |
大森南朋さんの父・麿赤兒さんは、俳優としてテレビや映画で顔を見たことがある方も多い、強烈な存在感の持ち主です。
ただ、その本業は「舞踏家」。日本発祥の前衛芸術である暗黒舞踏を、世界へと広げた立役者のひとりなのです。
読み方は「まろあかじ」本名は大森宏
「麿赤兒」という名前、初めて見るとなかなか読めませんよね。
麿赤兒さんの読み方は「まろ あかじ」で、これは舞踏家・俳優としての芸名です。
本名は大森宏(おおもり ひろし)さんといい、大森南朋さんの「大森」という名字は、この父方の本名から受け継いだものになります。
生まれは1943年2月23日、石川県金沢市の出身です。
「麿」に「赤兒(赤い児)」と書くこの芸名は、いかにも前衛芸術家らしい、一度見たら忘れられないインパクトを持っています。
俳優としては「怪優」、自らを「アングラ界の怪人」と称するなど、その独特な佇まいは芸名そのものにもよく表れているといえるでしょう。
暗黒舞踏「大駱駝艦」を率いる主宰者
大森南朋さんの父を語るうえで、絶対に外せないのが舞踏家としての功績です。
麿赤兒さんは若い頃、舞踏の創始者のひとりである土方巽さんに師事し、舞踏の世界へと足を踏み入れました。
その後、1964年には唐十郎さんが主宰する劇団「状況劇場」に参加し、強烈な身体表現で頭角を現していきます。
そして1972年、自らの舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」を創立し、主宰者となりました。
白塗りの肉体で世界観を表現するこの集団は、日本国内にとどまらず海外公演も精力的に行ってきました。
麿赤兒さんは、日本の「暗黒舞踏」を「BUTOH」という国際的な芸術ジャンルとして世界に知らしめた、まさに第一人者なのです。
息子である大森南朋さんが表現の世界で生きているのも、この父が築いた土壌があってこそといえるかもしれませんね。
怪優として映画でも強い存在感
麿赤兒さんは舞踏家であると同時に、俳優としても長いキャリアを積み重ねてきました。
クセのある役やアクの強い人物を演じさせたら随一で、映画・ドラマの世界では「怪優」として重宝される存在です。
代表的な出演作としては、ビートたけしさん監督の『菊次郎の夏』や、世界的ヒットとなったハリウッド映画『キル・ビル Vol.1』などが挙げられます。
国内外の話題作に名を連ねているあたりに、麿赤兒さんの俳優としての実力と存在感の大きさがうかがえます。
白塗りの舞踏家という顔と、スクリーンで見せる怪優という顔。その両方を自在に行き来できるのが、麿赤兒さんの唯一無二の魅力です。
舞台で鍛え上げた身体の表現力があるからこそ、映像作品でもセリフに頼らない圧倒的な存在感を出せるのでしょう。ほんの数カットの出演でも、画面に映るだけで空気を変えてしまう。そんな役者はそう多くありません。
この振り幅の大きさは、寡黙な刑事から冷酷な悪役まで幅広い役柄を演じ分ける大森南朋さんの俳優としての土台にも、しっかりと通じているように感じられます。
舞踏界の重鎮としての数々の受賞歴
長年の活動が評価され、麿赤兒さんはいくつもの栄誉ある賞を受けています。
2006年には文化庁長官表彰、2008年には舞踊評論家協会賞を受けるなど、舞踏界における功績が公に認められてきました。
さらに2021年には文化庁芸術祭賞の大賞、2022年にはニムラ舞踊賞を受賞し、舞踏界の重鎮としての地位を確固たるものにしています。
これらの受賞歴は、麿赤兒さんの表現が一時の流行ではなく、長い年月をかけて評価され続けてきた本物であることを物語っています。
芸術の道を、脇目もふらずに突き詰めてきた父。その背中は、息子たちにとっても大きな目標であり続けているのでしょう。
大森南朋と父・麿赤兒がたどった親子の道のり
ここからは、大森南朋さんと父・麿赤兒さんの、知られざる親子のエピソードを見ていきます。
「南朋」の名前に込めた父の思い
「南朋」という珍しい名前は、じつは父・麿赤兒さんが名付けたものだと語られています。
その由来には、家族の歴史が深く関わっているとされています。
南朋さんの祖父が南の島で戦死したことにちなみ、「南」の一字と、友を意味する「朋」を組み合わせて名付けられたと伝えられています。
前衛芸術家である父らしい、独特で意味の込められた名前だといえます。単なる響きの良さではなく、亡き人への思いと願いが一字一字に託されているのです。
ちなみに「南朋」は「なお」と読みますが、初見ではなかなか読めない難読名としても知られています。
読み方の難しさもあって、大森南朋さんの名前は一度覚えると忘れにくく、俳優として大きな武器になっているようにも感じられますね。名前ひとつをとっても、父から受け継いだ個性が光っています。
泊まり込みの稽古と母「ダダ」の家庭
大森南朋さんが育った家庭は、いわゆる一般的な家庭とはかなり違っていたようです。
舞踏家である父・麿赤兒さんは稽古場に泊まり込むことが多く、幼い頃はあまり家にいなかったと語られています。
一方の母は小林桃枝さんといい、新宿の伝説的な喫茶店「風月堂」で働き、「女王ダダ」の愛称で親しまれた個性的な女性でした。
母はのちに新宿三丁目でバー「ダダ」を営みながら、子どもたちを育て上げたとされています。
両親は大森南朋さんが幼い頃に離婚しており、南朋さんは母のもとで育ったと伝えられています。
常識にとらわれない自由な両親のもとで育った経験は、型にはまらない大森南朋さんの俳優としての個性につながっているのでしょう。
兄・大森立嗣も映画界で活躍する実力者
大森家で表現の道を歩んでいるのは、南朋さんと父だけではありません。
大森南朋さんの兄・大森立嗣さんは、映画監督として第一線で活躍する実力者です。
大学時代に映画に興味を持ち、自主映画の制作からキャリアをスタートさせたとされています。
数々の話題作を手がける名匠へと成長し、弟の南朋さんが出演する作品でメガホンを取ることもありました。
父は舞踏家で俳優、兄は映画監督、弟は俳優。まさに表現者一家といえる顔ぶれです。
それぞれが別々のフィールドで実力を発揮している点に、この一家が持つ表現へのエネルギーの強さを感じずにはいられません。
父と比較され続けた葛藤
偉大な父を持つがゆえに、大森南朋さんには独特の苦労もあったようです。
キャリアの中で、「お父さんはあんなにすごかったのに」と、父・麿赤兒さんと比較される場面も少なくなかったと語られています。
しかし大森南朋さんは、その比較を後ろ向きにとらえるのではなく、原動力へと変えてきました。
父を「先輩として尊敬している」と語りつつ、反発心をバネにして唯一無二の役者を目指してきたのです。
大きな存在である父を、乗り越えるべき壁として受け止めてきた姿勢に、大森南朋さんの表現者としての芯の強さが表れています。
親子共演で深まった絆
かつては家を空けがちだった父ですが、大森南朋さんが俳優になったことで、親子の距離は少しずつ縮まっていったようです。
そのきっかけのひとつが、俳優同士としての親子共演でした。
兄・大森立嗣さんが監督や制作に関わる作品の場で、父と息子が同じ現場に立つ機会も生まれ、家族が表現を通じてつながる形になっていきました。
同じ作品に立つことで、親子でありながら役者としても向き合う、特別な時間が生まれたといえます。幼い頃に交わせなかった会話を、演技という共通言語を通して埋めているようにも見えますね。
幼い頃はすれ違いも多かった親子が、大人になって同じ表現の世界で肩を並べる。これほど感慨深い関係もそうそうありません。
偉大な舞踏家である父の存在は、大森南朋さんにとってプレッシャーであると同時に、何よりの誇りでもあるのでしょう。
大森南朋の父・麿赤兒についてまとめ
最後に、大森南朋さんの父について整理しておきます。
- 大森南朋さんの父は舞踏家・俳優の麿赤兒(まろ あかじ)さんで、本名は大森宏さん
- 1972年に暗黒舞踏集団「大駱駝艦」を創立・主宰し、舞踏を「BUTOH」として世界に広めた第一人者
- 俳優としても『菊次郎の夏』『キル・ビル Vol.1』などに出演し「怪優」として存在感を放つ
- 文化庁芸術祭賞大賞やニムラ舞踊賞など、数々の受賞歴を持つ舞踏界の重鎮
- 「南朋」の名は、南の島で戦死した祖父にちなんで父が名付けたと伝えられる
- 母は「女王ダダ」と呼ばれた小林桃枝さんで、両親は南朋さんの幼少期に離婚
- 兄・大森立嗣さんは映画監督で、弟の作品でメガホンを取ることもある表現者一家
- 大森南朋さんは父と比較される葛藤を原動力に変え、親子共演で絆を深めてきた
大森南朋さんの父・麿赤兒さんは、暗黒舞踏を世界へと押し広げ、俳優としても唯一無二の存在感を放ち続けてきた偉大な表現者でした。その大きな背中を追い、時に反発しながらも自分だけの役者道を切り開いてきた大森南朋さん。親子それぞれが別々の輝きを放つ大森家の歩みは、これからもきっと多くの人を惹きつけていくことでしょう。