山田真歩の高校はどこ?日野台説の真相とソフトボールに打ち込んだ学生時代

山田真歩の高校はどこ?日野台説の真相とソフトボールに打ち込んだ学生時代

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山田真歩さんの出身高校がどこなのか、気になって検索された方も多いのではないでしょうか。

結論からいうと、山田真歩さんは出身高校の名前を公表していません。

一方で、高校時代の部活や友人のこと、家庭の様子は、本人がインタビューやコラムで具体的に書いています。

この記事では、高校名について分かることと、本人の言葉から見える高校時代、そして卒業後の歩みを整理します。

山田真歩の高校はどこ?学校名と高校時代

  • 高校名は公表されていない
  • 中学・高校はソフトボール
  • 高校のクラスにいた幼なじみ
  • 茶色いご飯とテレビのない家

まずは、高校名について確認できることから見ていきます。

高校名は公表されていない

山田真歩さんは1981年9月29日生まれ、東京都出身の女優です。所属事務所はユマニテで、明星大学教育学部を卒業しています。

出身高校 公表されていない
ネット上の説 東京都立日野台高校(根拠は示されていない)
高校時代の部活 ソフトボール(中学から続けていた)
出身大学 明星大学教育学部
大学での活動 隣接する大学の演劇サークル
家族 教師の両親、3歳上の兄、7歳下の妹

大学については、朝日新聞とマイナビ転職のインタビューのプロフィールにも「明星大学教育学部卒」と書かれており、確かな情報です。ところが高校については、本人も所属事務所も学校名を明かしていません。

ネット上では、「都立日野台高校の出身」とする記事がいくつも見つかります。偏差値まで添えて紹介している記事もあります。

ただ、それらの記事を確認すると、本人の発言や公式のプロフィールといった根拠は示されていませんでした。どこから出てきた情報なのかをたどることができないため、この記事では日野台高校の出身だと断定することはしません。

高校名が分からない一方で、高校時代の本人については意外なほど多くのことが分かっています。山田真歩さんは連載コラムやインタビューで、子供のころから学生時代までの出来事を自分の言葉で書いてきたからです。

学校名という「答え」はなくても、どんな高校生だったのかは本人の言葉からたどることができます。ここから順に見ていきます。

中学・高校はソフトボール

山田真歩さんが中学・高校を通して続けていたのが、ソフトボールです。

2021年の文春オンラインのインタビューで、中学・高校を通してソフトボールをやっていたことを明かしています。女優としての繊細な役柄からは少し意外に感じる方もいるかもしれません。

6年間にわたって一つの競技を続けたわけですから、高校時代の生活の中心には部活があったといえそうです。

ソフトボールの話が出てきたのは、教師である父から反対されたことを振り返る場面でした。父から反対されたことは、人生で2回だけだったそうです。

その1回目が、高校まで続けたソフトボールを大学で辞め、演劇サークルに入ろうとしたときでした。

大学でもソフトボール部に入ったものの、雰囲気が合わず数か月で辞めようとした山田真歩さんに、父は「残される側の人の気持ちも考えなさい」と言ったといいます。それでも何度考え直しても演劇をやりたいという気持ちは変わらず、演劇の道を選びました。

中学・高校の6年間続けたソフトボールを離れることは、本人にとっても簡単な決断ではなかったはずです。そのうえで選んだのが演劇だったという点に、のちに女優になる山田真歩さんの意志の強さが表れています。

高校のクラスにいた幼なじみ

高校時代を知る手がかりとして、本人のコラムに登場する幼なじみの存在があります。

山田真歩さんは映画サイトPINTSCOPEで「山田真歩のやっほー!シネマ」というコラムを連載しています。その中で、幼なじみの友人について書いた回があります。

その友人とは、0歳の保育園のころから、小学校で通っていたピアノ教室も、高校のクラスも一緒だったそうです。

保育園から高校まで、10年以上を同じ場所で過ごした友人がいたことになります。高校時代の山田真歩さんのそばには、子供のころからの自分を知っている友人がいたわけです。

大学を卒業してからはそれぞれ別の道に進んだものの、今も半年と空けずに顔を合わせているといいます。何を話すでもなく会う関係が続いていると書いており、高校時代の人間関係が今も大切に続いていることが伝わってきます。

コラムには、誕生日の前後にこの友人を訪ねた話がつづられていました。台風のあとで停電していた山小屋で、二人で懐中電灯を頼りに夕食をつくり、ろうそくの灯りで食べたというエピソードです。

SNSを使った人付き合いは苦手だと話している山田真歩さんですが、こうした長い付き合いの友人とのやり取りを見ると、人との関係を深く大切にするタイプであることが分かります。

茶色いご飯とテレビのない家

高校時代までの山田真歩さんを語るうえで欠かせないのが、少し変わった家庭の習慣です。

コラムによると、山田家では歯磨き粉を使わず、洗面台に盛られた粗塩で歯を磨いていたそうです。母には「昔の人はみんな塩で磨いていたのよ」と言われていたといいます。

テレビも、観ていい番組が2つか3つだけで、それ以外は基本的にダメでした。そのため「ドリフ」も「北の国から」もよく知らず、流行歌は嘉門達夫さんの替え歌テープで覚えていたそうです。友達と歌っていると途中から自分だけ歌詞が違ってきて、大爆笑になったこともあったと書いています。

中学生のときには、お弁当の時間に「なにその茶色いご飯。洗ってないの?」と驚かれたこともありました。山田家では、お米といえば玄米だったのです。

それでも本人は、人と違うことを恥ずかしいとは思わず、みんなと仲良く過ごしていたといいます。

その理由として挙げているのが、両親が決して「人と比べる」ことをしなかったことです。3歳上の兄や7歳下の妹と比べられたことも、「誰々ちゃんみたいに頑張りなさい」と言われたこともなかったそうです。教師の両親は「人は人、自分は自分」という考え方だったと、別のインタビューでも語っています。

山田真歩の高校卒業後|大学と演劇への道

  • 教育学部で演劇に出会った
  • 高校の同級生が驚いた暮らし
  • 出版社から女優の道へ
  • 山田真歩の高校と学生時代まとめ

ここからは、高校を卒業したあと、山田真歩さんがどのように女優の道へ進んだのかを見ていきます。

教育学部で演劇に出会った

高校を卒業した山田真歩さんが進んだのは、明星大学の教育学部でした。

両親はともに教師です。山田真歩さん自身も、両親のように教師になるつもりで教育学部に進学したと、2012年のインタビューで語っています。

人と比べないという両親の教えを受けて育った山田真歩さんにとって、教師は身近で自然な将来像だったのでしょう。

高校までのソフトボール一筋の生活から、大学に入ってもしばらくはソフトボール部で活動を続けようとしていました。この時点では、女優という仕事はまだ進路の選択肢に入っていなかったことになります。

ところが大学でのある出会いが、教師になるはずだった進路を大きく変えることになります。

それが、隣接する大学の演劇サークルでした。本人が演劇に夢中になったきっかけとして語っているのは、この大学時代のサークルです。

ソフトボール部を離れて入った演劇サークルで、山田真歩さんは演じる楽しさに目覚めます。

「とにかくいろんな人がいて刺激的で、何より演じるのが楽しくてたまらなかった。これだ!と思いました。毎日スキップしながら稽古に通っていましたね」と振り返っています。

しかし大学3年になると、周りの学生が就職活動を始めます。夢のような演劇の日々から一気に現実に引き戻され、将来を考えると憂鬱で悶々とするばかりだったそうです。

そこで山田真歩さんは、一人でドイツへ向かい、1か月間暮らしてみました。どこへ行っても画期的に何かが変わるわけではないと分かった一方で、旅の途中で自分の名前について考えたといいます。

両親は「真実に向かって歩む子」にしたかったのかもしれない。でも、真っすぐに好きなことへ向かって歩めという意味かもしれない。そう考えた山田真歩さんは教職を目指すのをやめ、卒業後は演劇の道に進むことを決めました。

卒業後は就職せずにアルバイトをしながら、劇団東京乾電池の養成所に研究生として入っています。高校まではソフトボール、大学で演劇という流れを見ると、打ち込めるものを見つけると一直線に進む性格がよく表れています。

高校の同級生が驚いた暮らし

養成所に入ったものの、将来の見えないアルバイト生活に不安を覚え、山田真歩さんは1年ほどで養成所を辞めました。そして入社したのが、社員5人ほどの小さな出版社です。

この会社員時代に、山田真歩さんは千葉の里山の近くに引っ越し、野菜を育てる暮らしを始めました。週末には農家に泊まり込んで、有機野菜の作り方を教わっていたそうです。

ほとんど外食もせず、若くして隠居生活のような暮らしをしていた山田真歩さんについて、コラムには「高校の同級生たちは目を丸くして驚いたり心配したりしていた」と書かれています。

高校を卒業して何年もたってからも、高校の同級生たちとの付き合いが続いていたことが分かるエピソードです。同級生の目には、会社勤めをしながら里山で畑を耕す生活は、かなり思い切ったものに映ったのでしょう。

それでも本人は「だけど、私は幸せだった」と書いています。自分たちが育てた野菜でご飯を作り、それが食卓に並ぶ喜びは忘れられないと振り返っていました。

人と比べずに自分が良いと思う暮らしを選ぶ姿勢は、茶色いご飯を恥ずかしいと思わなかった子供のころから変わっていないようです。

出版社から女優の道へ

出版社では原稿の執筆から編集、装丁まで任され、やりがいもあったといいます。それでも、学生時代の演劇ほどにはのめり込めませんでした。

転機は2009年のゴールデンウイークです。大学時代の演劇サークルの仲間から自主映画への出演を頼まれ、映画『人の善意を骨の髄まで吸い尽くす女』に出演しました。「演技をするのは3年ぶりで、夢のような5日間でした」と振り返っています。

この作品を観た入江悠監督に見いだされ、2010年公開の映画『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』で主人公アユム役に抜擢されました。同じ年の暮れからユマニテに所属しています。

その後は2014年のNHK連続テレビ小説『花子とアン』で宇田川満代役を演じて注目を集め、2015年の主演映画『アレノ』では第30回高崎映画祭の最優秀主演女優賞を受賞しました。『あなたの番です』『ブラッシュアップライフ』『どうする家康』『ホットスポット』など話題作への出演も続き、2026年秋には連続テレビ小説『ブラッサム』でヒロインの叔母を演じます。

高校時代はソフトボールに打ち込み、大学で演劇に出会い、会社員を経て女優になる。遠回りに見える道のりですが、本人は「結局は自分の選んだことが、そのまま自分の人生になっていくんだなと実感しています」と語っています。

山田真歩の高校と学生時代まとめ

  • 山田真歩さんの出身高校は公表されていない
  • ネット上の「都立日野台高校」説は、確認できた範囲では根拠が示されていない
  • 中学・高校を通してソフトボールを続けていた
  • 0歳の保育園から高校のクラスまで一緒だった幼なじみがいる
  • 家庭は玄米・粗塩の歯磨き・テレビはほぼなしという独特の習慣で、両親は子供を人と比べなかった
  • 高校卒業後は教師を目指して明星大学教育学部に進み、隣接する大学の演劇サークルで演劇に目覚めた
  • 出版社勤務を経て2009年に映画デビューし、翌年『SR サイタマノラッパー2』で主演を務めた

山田真歩さんの高校名は分かっていません。ただ、本人が書き残した言葉をたどると、ソフトボールに打ち込み、幼なじみと同じ教室で過ごした高校時代の姿が見えてきます。

人と比べない家庭で育ち、好きなことを見つけるとまっすぐ進む。その性格は高校時代から女優になった今まで、一貫しているといえそうです。

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