大松敦とは何者?日建設計の社長になるまでの経歴と手がけた街を解説

大松敦とは何者?日建設計の社長になるまでの経歴と手がけた街を解説

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大松敦さんという名前を目にして、どんな人物なのか気になった方も多いのではないでしょうか。

タレントでも文化人でもありません。日本を代表する設計事務所、日建設計の社長を務めている人物です。

東京ミッドタウンや渋谷、東京駅の八重洲口。誰もが一度は歩いたことのある場所の多くに、この人の仕事が関わっています。

この記事では、大松敦さんの経歴と、率いている日建設計という会社について整理していきます。

大松敦の経歴|東大建築学科から日建設計トップへ

まずは生い立ちから社長就任までの歩みを確認していきましょう。

  • 生まれと学歴の基本プロフィール
  • 都市開発ひと筋で歩んだ道のり
  • 120年で初の都市部門出身社長
  • 都市に憧れた学生時代の原点

生まれと学歴の基本プロフィール

大松敦さんは1960年5月17日生まれ、東京都の出身です。読み方は「おおまつ あつし」さんとなります。

進学したのは東京大学の工学部建築学科でした。1983年に卒業し、そのまま日建設計に入社しています。以来、転職も独立もせず、一つの会社で歩み続けてきた人物です。

一級建築士であり、日本建築家協会の登録建築家、日本建築学会の会員でもあります。経営者である前に、設計の現場を歩いてきた技術者だといえます。

先に、経歴を整理しておきます。

氏名 大松敦(おおまつ あつし)
生まれ 1960年5月17日・東京都
学歴 東京大学工学部建築学科(1983年卒業)
入社 1983年に日建設計へ
役職の変遷 企画開発室長→プロジェクトマネジメント室長→執行役員→常務執行役員→取締役
社長就任 2021年1月1日付。第12代社長
特徴 同社120年の歴史で初の都市部門出身社長
資格 一級建築士、日本建築家協会登録建築家

こうして並べると、この人が歩いてきた道の一貫性がよく分かります。学生時代に建築を学び、卒業してすぐ設計事務所に入り、そのまま社長まで務めているわけです。

都市開発ひと筋で歩んだ道のり

入社後の大松敦さんは、建物を一棟設計するというより、まちごとつくる仕事を担ってきました。30代の頃には汐留やさいたま新都心といった大型の都市開発に携わっています。

本人はこの時期を「調整が多く、理屈だけでは進まない」経験だったと振り返っています。行政、鉄道会社、地権者と、立場の違う相手を同じ方向に向かせる仕事です。図面を描く力だけでは、まったく歯が立ちません。

その後のキャリアも、この延長線上にあります。1998年に企画開発室長、2003年にプロジェクトマネジメント室長。いずれも案件を成立させる側のポジションです。

2011年には執行役員としてプロジェクト開発を担当し、2015年には常務執行役員として都市部門を率いました。2016年に取締役となり、2021年1月1日付で代表取締役社長に就任しています。

前任の亀井忠夫さんが代表取締役会長へ回る形での交代でした。数えて第12代の社長ということになります。

120年で初の都市部門出身社長

この社長就任には、業界内で驚きをもって受け止められた一面があります。日建設計は創業から120年を数える老舗ですが、歴代社長のほとんどが建築設計部門の出身だったからです。

大松敦さんは、そこに初めて登場した都市部門出身の社長でした。建物そのものを設計してきた人ではなく、まちをどう組み立てるかを担ってきた人がトップに立ったわけです。

これは単なる人事の話ではありません。会社が何を主戦場にしようとしているかを示す動きだといえます。1棟の建築で勝負する時代から、街区や地域単位で価値をつくる時代へ、という判断が読み取れます。

実際、大松敦さんは東京が抱える課題として、国際的な地位の低下、地震のリスク、緑の喪失、雑然とした景観といった点を挙げています。どれも建物1棟では解けない問題ばかりです。

傍流とみられていた部門から社長が生まれたことは、業界の変化そのものを映していたといえます。

都市に憧れた学生時代の原点

まちづくりに向かった原点は、学生時代にあります。建築家の槇文彦さんが設計した「代官山ヒルサイドテラス」を歩いたときの体験です。

中庭と建物が調和した光景が気持ち良かった。大松敦さんはそう語っています。建物の中ではなく、建物と建物のあいだにある空間に心を動かされたわけですね。

この感覚は、後の発言にそのままつながっていきます。単なる広場や公園ではない「パブリック・スペース」を新たな都市基盤にしたい、というのが大松敦さんの掲げる構想です。

さらに「建築と土木が一体にならなければ望むべきパブリック・スペースは実現できない」とも語っています。学生時代に受けた印象が、40年近くを経て会社の方針にまでなっているのです。

大松敦が率いる日建設計とはどんな会社?

ここからは、大松敦さんがトップを務める日建設計という会社について見ていきます。

  • 組織設計事務所の最大手
  • 手がけてきた代表的な仕事
  • エリート集団と言われる理由
  • 2030年に向けた新しい目標
  • 大松敦と日建設計についてまとめ

組織設計事務所の最大手

日建設計は、いわゆる組織設計事務所の最大手として知られています。有名建築家が個人名で率いるアトリエ系ではなく、大人数のチームで大型案件を回す形態の設計事務所です。

規模はグループ全体でおよそ3,000人。単体の売上高は2021年12月期で573億円台、2023年12月期で594億円台と公表されています。設計事務所としては群を抜いた大きさです。

特徴的なのが、非上場を貫いている点です。株主の意向に左右されず「中立的な立場」を保つという考え方で、これは公共性の高い都市開発を扱ううえで大きな意味を持ちます。

創業から120年を超え、社会貢献という価値観を掲げ続けてきた会社でもあります。大松敦さんが社会課題という言葉を繰り返し使うのも、この社風があってこそでしょう。

手がけてきた代表的な仕事

大松敦さん個人が関わってきたプロジェクトを並べると、東京の風景がそのまま出てきます。

東京ミッドタウン六本木が2007年、渋谷ヒカリエが2012年、東京駅八重洲口の開発が2013年、東京ミッドタウン日比谷が2018年、渋谷スクランブルスクエアの第1期が2019年。ここ20年ほどの東京の主役級が並びます。

こだわってきたのが地下空間です。東京駅八重洲口の再開発では地下でのつながりが整備され、京橋駅まで雨に濡れずに行けるようになりました。地上の面積が限られる都心で、地下の可能性は大いに高まっていると本人は語っています。

近年では大阪の仕事も大きな話題になりました。うめきた2期にあたるグラングリーン大阪では都市設計を担当し、敷地の約半分を緑地が占める構成が実現しています。

この緑地中心の再開発について、大松敦さんは世界的にも環境意識が高まるなか、同じような開発が海外でも増えていくとの見方を示しました。大阪・関西万博の日本政府館にも関わっており、活動の範囲は東京にとどまりません。

エリート集団と言われる理由

日建設計を検索すると、超エリート集団といった言葉が並びます。理由ははっきりしています。

まず採用の難易度です。国内トップクラスの建築系学生が集まる会社であり、大松敦さん自身も東京大学工学部建築学科の出身。同じような経歴の社員が数多く在籍しています。

次に給与水準です。転職情報サイトなどでは平均年収が800万円台と紹介されており、大手設計事務所の中でも高い部類に入るとされています。ただし、こうした数値は各サイトの推計や口コミに基づくものなので、幅を持って見るのが妥当です。

そして何より、手がける案件の規模が別格です。誰もが名前を知っているビルや街区が並ぶわけですから、そこで働く人たちが特別視されるのも自然な流れといえます。

一方で、仕事の中身は華やかさばかりではありません。大松敦さんが振り返っているとおり、調整に次ぐ調整が続く世界です。理屈だけでは進まない現場を粘り強く動かせる人が、結果的に残っていく組織なのでしょう。

2030年に向けた新しい目標

社長としての大松敦さんが打ち出しているのが、新しい中期経営計画です。2030年の受託額を1,050億円、収益を990億円とする目標を掲げました。

注目すべきは、その中身です。設計・監理業務の受託に頼る従来のビジネスモデルだけにとらわれない、という方針が明確に示されています。

背景にあるのは冷静な市場認識です。大松敦さんは、新築設計の受託を大幅に増やしていくことは考えにくいと語っています。人口が減っていく国で、新しい建物を建て続ける前提には立たないということです。

そこで打ち出されたのが「社会環境デザインプラットフォーム」という位置づけでした。建築設計という枠を超えて社会課題を解決していく会社になる、という宣言です。

具体策として、クライアントを介さない社会課題解決型の事業にも乗り出します。脱炭素や地方活性化の支援に、2030年までに100億円を投じる計画です。設計を依頼されるのを待つのではなく、自ら課題に手を出す側に回るわけですね。

大松敦と日建設計についてまとめ

  • 大松敦さんは1960年5月17日生まれ、東京都出身の一級建築士
  • 東京大学工学部建築学科を1983年に卒業し、同年に日建設計へ入社
  • 企画開発室長、プロジェクトマネジメント室長などを経て2021年1月に社長就任
  • 同社120年の歴史で初となる都市部門出身の社長
  • 東京ミッドタウン、渋谷、東京駅八重洲口、グラングリーン大阪などを担当
  • 2030年に受託額1,050億円を目指し、社会課題解決型事業に100億円を投じる方針

大松敦さんの経歴をたどっていくと、一貫して「建物のあいだ」を見てきた人だということが分かります。学生時代に代官山で受けた印象が、そのまま仕事の軸になっているのです。

私たちが何気なく歩いている広場や地下通路にも、その考え方が形になって残っています。名前を知らなくても、この人の仕事の上を歩いたことがある。そういう種類の人物だといえます。

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