大泉洋の若い頃を年表で解説!二浪・北海学園大・TEAM NACS結成まで

大泉洋の若い頃を年表で解説!二浪・北海学園大・TEAM NACS結成まで

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大泉洋さんの若い頃と聞いて、真っ先に浮かぶのはあの天然パーマかもしれません。

ところが昔の写真を並べてみると、輪郭も髪型も今とはずいぶん違います。二浪、志望校に落ちた挫折、そして偶然入った演劇研究会。芸能界に入るつもりなど、まったくなかった青年でした。

その大学生が、在学中に深夜番組へ引っ張り出され、そのまま北海道を代表するタレントになっていきます。

この記事では、大泉洋さんの若い頃を生い立ちから順にたどり、顔立ちの変化までまとめて整理していきます。

大泉洋の若い頃はどんな時代?二浪から演劇に出会うまで

まずは生まれ育ちから、大学で演劇と出会うまでを追いかけていきます。

  • 生まれ育ちと家族の原点
  • 二浪の末に進んだ大学
  • 演劇研究会で見つけた居場所
  • 教員免許を持っていた学生時代
  • 劇団イナダ組で積んだ舞台経験

生まれ育ちと家族の原点

大泉洋さんは1973年4月3日、北海道江別市の市立江別総合病院で生まれています。幼少期を過ごしたのは江別市の大麻地区で、小学5年生のときに札幌市南区の真駒内へ引っ越しました。

札幌の南側で少年時代を送り、そのまま道内の高校へ進みます。北海道を出ないまま芸能活動が始まったところが、この人の経歴の面白いところです。

先に、若い頃の歩みを一覧にしておきます。

生まれ 1973年4月3日・北海道江別市
育ち 江別市大麻地区→小学5年で札幌市南区真駒内へ
高校 北海道札幌藻岩高等学校
浪人 2浪(代々木ゼミナール・サテライン予備校)
大学 1994年 北海学園大学経済学部経済学科 入学
転機 演劇研究会に入会し、後の仲間と出会う
デビュー 1995年10月『モザイクな夜V3』2代目「元気くん」
飛躍 1996年10月『水曜どうでしょう』出演開始
大泉潤さん(第10代函館市長)

家族の話でよく知られているのが、実の兄である大泉潤さんの存在です。札幌北高校から早稲田大学法学部へ進み、函館市役所に入庁したという、弟とはまったく違う道を歩んだ人物になります。

その兄が後に函館市長を務めることになるわけですから、兄弟そろって北海道で名前が知られる形になりました。若い頃の大泉洋さんにとって、堅実に進む兄は身近な比較対象でもあったはずです。

二浪の末に進んだ大学

大泉洋さんが通ったのは、北海道札幌藻岩高等学校です。卒業後はすぐに大学へ進んだわけではなく、代々木ゼミナールのサテライン予備校で学びながら受験に向き合いました。

結果として2年間の浪人を経験し、1994年に北海学園大学経済学部経済学科へ入学しています。ここが、本人にとって決して晴れやかな入り口ではなかった点が重要です。

本来志望していた大学ではなかったため、入学当初は気持ちが沈んでいたと語られています。二浪までしてたどり着いた場所が第一志望ではない。二十歳を過ぎた青年にとって、これはかなり重い現実だったはずです。

それでも「このまま腐った気持ちでいるのはまずい」と考え直したところから、話が動き出します。落ち込みを引きずらず、大学で何かに打ち込もうと決めたわけですね。

この切り替えがなければ、演劇研究会の扉を叩くこともなかったでしょう。若い頃の大泉洋さんを語るうえで、二浪と挫折はむしろ出発点として置かれるべき出来事だといえます。

演劇研究会で見つけた居場所

奮起した大泉洋さんが選んだのが、北海学園大学の演劇研究会でした。演劇経験があったわけではなく、大学生活を立て直すために飛び込んだ場所です。

ここで出会ったのが、森崎博之さん、安田顕さん、佐藤重幸さん(現在の戸次重幸さん)、音尾琢真さんの4人でした。後に演劇ユニットを組むことになる面々と、この時点ですでに顔をそろえていたことになります。

初舞台は入会した年の夏、演劇研究会の道内地方公演です。大学のサークル公演といっても、北海道各地を回る形の巡業でした。学生のうちから客前で芝居をする回数を重ねられたのは、大きな財産になったはずです。

公演では大道具の運び込みからチラシ配りまで、学生が自分たちでこなします。演じるより雑用の時間のほうが長いような日々ですが、そこで培われた体力と段取りの感覚は、後の過酷なロケでも効いてきたはずです。

芸能界を目指して上京した人とは、まったく違うルートです。札幌の大学サークルで芝居を覚え、そのまま札幌のテレビ局に見つかる。この地元密着ぶりが、後の『水曜どうでしょう』の空気にもつながっていきます。

ちなみに演劇研究会に入ったのは、あくまで大学生活を立て直すためでした。役者として身を立てるつもりはなかった青年が、結果的に一生の仲間と職業を同時に手に入れてしまったわけですね。

教員免許を持っていた学生時代

意外に知られていないのが、大泉洋さんが教員免許を持っているという話です。北海学園大学の在学中に、高等学校地理歴史の教育職員免許状を取得しています。

免許を取るには教育実習が必要になりますが、その実習先が母校の札幌藻岩高校でした。HTBのトーク番組『素晴らしい世界』では、同じ藻岩高校出身の共演者と話が合い、この経歴が明かされる場面もありました。

芝居に打ち込みながら、教職課程もきちんと履修していたわけです。演劇一本に賭けていたというより、就職も視野に入れた現実的な学生だったことがうかがえます。

教育実習は、数週間にわたって毎日教壇に立ち、生徒の前で授業を組み立てる作業です。しかも相手は数年前まで自分が座っていた教室の後輩たち。緊張しないほうが難しい環境だといえます。

結果的に教壇に立つ道は選びませんでしたが、人前で話す訓練という意味では無駄になっていないはずです。あの独特の間合いと語り口の下地には、こうした学生時代の経験も混ざっているのかもしれません。

浪人を2年、大学で4年。同級生より遅れて社会に出る前提だったからこそ、免許という保険を確保しておいた面もあるでしょう。若い頃の大泉洋さんは、意外なほど堅実な計算をする学生だったといえます。

劇団イナダ組で積んだ舞台経験

大学の演劇研究会と並行して、大泉洋さんはプロの舞台にも足を踏み入れています。1995年に北海道の劇団イナダ組へ入団し、2004年まで所属していました。

イナダ組は札幌を拠点とする劇団で、道内の演劇界では知られた存在です。学生サークルとは要求される水準が違いますから、ここで過ごした時期が役者としての土台になったといえます。

注目したいのは、その在籍期間の長さです。テレビでの人気が出た後もしばらく劇団に残り続けており、映像の仕事が増えてからも舞台を手放していません。

タレントとして売れてから俳優業に転じた、という単純な話ではないわけですね。若い頃から芝居の現場に身を置き続けた人が、たまたまバラエティ番組で先に有名になった。順番としては、そう理解したほうが実像に近いといえます。

大泉洋の若い頃を変えた水曜どうでしょうと全国進出

ここからは、テレビに出るようになってからの若い頃を見ていきます。

  • 深夜番組から始まった芸能活動
  • 大学在学中に始まった伝説の番組
  • TEAM NACS結成までの道のり
  • 顔立ちと髪型はどう変わったか
  • 若い頃の歩みを年表で整理
  • 大泉洋の若い頃と現在までのまとめ

深夜番組から始まった芸能活動

芸能界入りのきっかけは、本人が売り込んだものではありませんでした。演劇研究会の舞台を観ていた劇団OOPARTSの劇団員に見いだされたことが始まりです。

そして1995年10月、北海道テレビの深夜番組『モザイクな夜V3』に2代目「元気くん」として出演し、芸能活動がスタートしました。

大学在学中の話です。ローカル局の深夜枠ですから、当時は将来の職業になるとは本人も思っていなかったでしょう。学生が面白半分で呼ばれて出ている、その程度の入り口でした。

ところが番組内で見せた反応の速さと喋りが、そのまま次の仕事につながっていきます。台本どおりに動かない学生の姿が、制作側にとっては魅力に映ったということです。

「元気くん」は番組の企画を体当たりでこなす役どころで、2代目として抜擢された形になります。オーディションを勝ち抜いたスターというより、面白そうな学生を連れてきた、という空気の起用です。

この「見つけられて始まった」という経緯は、若い頃の大泉洋さんを語るうえで欠かせません。自分で切り開いたというより、まわりに引っ張り出されて役者兼タレントになっていったわけです。

大学在学中に始まった伝説の番組

転機になったのが、1996年10月にスタートした『水曜どうでしょう』です。ディレクター陣と鈴井貴之さん、そして大学生だった大泉洋さんが旅を続ける、あの深夜番組になります。

予算をかけず、台本もほとんどないまま延々と車で移動する。今では当たり前になった旅バラエティの形を、北海道のローカル局が先取りしていました。

この番組で大泉洋さんに求められたのは、演技ではなく反応です。眠い、寒い、もう無理だ。そういう本音がそのまま画面に乗る形式で、学生時代の素の話術がむき出しになりました。

番組は道内で人気を伸ばし、1999年には最高視聴率18.6%を記録しています。深夜番組としては驚異的な数字です。

さらに1999年からは全国への番組販売が始まり、北海道の外でも観られるようになりました。同じ年にテレビ朝日の『パパパパパフィー』へ出演したことも重なり、大泉洋さんの名前は一気に全国へ広がっていきます。

2002年にレギュラー放送が終了した後は、活動の軸を全国へ移していきました。2005年の『救命病棟24時』のような連続ドラマで評価を高めたのも、この延長線上にあります。

TEAM NACS結成までの道のり

もう一つ、若い頃の大泉洋さんを語るうえで外せないのがTEAM NACSです。ただ、最初から本格的なユニットとして始まったわけではありませんでした。

1996年、大学を卒業する森崎博之さんと安田顕さんの卒業制作として、1回限りのユニットという形で結成されたのが始まりです。

その2人が就職したことで、ユニットはいったん解散します。学生の思い出づくりとして、そこで終わるはずだったわけですね。

ところが1997年8月、メンバーがそれぞれ勤め先を退職して再結成に踏み切ります。安定した職を捨てて芝居に戻るという、かなり思い切った選択でした。

結成メンバーの顔ぶれ

森崎博之さん、安田顕さん、戸次重幸さん、音尾琢真さん、そして大泉洋さんの5人です。全員が北海学園大学の演劇研究会でつながっており、大学のサークル仲間がそのまま劇団になった珍しい例といえます。

1回限りのはずが続いた理由

再結成後は北海道を拠点に公演を重ね、やがて全国区の演劇ユニットへ育っていきました。若い頃に一度手放しかけたものを取り戻した経験は、その後の活動の芯になっているように見えます。

顔立ちと髪型はどう変わったか

若い頃の写真を見て、多くの人が驚くのが見た目の違いです。当時は体型が細く、輪郭も今よりシャープでした。

髪型もかなり印象が異なります。ストレートに近い髪型やロン毛を披露していた時期があり、現在のボリュームのある天然パーマとは雰囲気が違います。

服装もシンプルで清潔感のあるものが多く、テレビ画面に映る笑顔にはあどけなさが残っていました。素朴な雰囲気の学生、という表現がしっくりくる見た目です。

『水曜どうでしょう』の初期映像を観ると、この違いがよく分かります。長期のロケで髪が伸び、旅の途中で伸ばしっぱなしになっていく過程まで記録されているため、見た目の変化そのものが番組の名物になっていました。

その後、年齢を重ねるにつれて顔まわりに厚みが出て、髪のクセも強く出るようになりました。今の「大泉洋らしさ」として認識されているあの雰囲気は、じつは後から出来上がったものだということになります。

逆にいえば、若い頃の写真が別人のように見えるのは自然な話です。細身でクセの少ない髪の青年が、あの独特の存在感を持つ俳優になっていった。その振れ幅こそが、この人の面白さだといえます。

若い頃の歩みを年表で整理

ここまでの流れを、年ごとに並べ直しておきます。学生から役者兼タレントへ変わっていく速さが、こうして見るとよく分かります。

1973年4月3日 北海道江別市の市立江別総合病院で誕生。幼少期は江別市大麻地区で過ごす
小学5年 札幌市南区の真駒内へ転居
高校卒業後 北海道札幌藻岩高等学校を卒業し、代々木ゼミナール・サテライン予備校で2年間の浪人
1994年 北海学園大学経済学部経済学科に入学。演劇研究会に入会し、同年夏の道内地方公演で初舞台
大学在学中 高等学校地理歴史の教育職員免許状を取得。母校の札幌藻岩高校で教育実習
1995年 劇団イナダ組に入団(2004年まで所属)
1995年10月 HTB『モザイクな夜V3』に2代目「元気くん」として出演し芸能活動を開始
1996年 森崎博之さん・安田顕さんの卒業制作としてTEAM NACSを結成。2人の就職でいったん解散
1996年10月 『水曜どうでしょう』に出演開始
1997年8月 メンバーがそれぞれ退職し、TEAM NACSを再結成
1999年 『水曜どうでしょう』が最高視聴率18.6%を記録。全国への番販が始まり、『パパパパパフィー』にも出演
2002年 『水曜どうでしょう』のレギュラー放送が終了。活動の軸を全国へ移す
2004年 劇団イナダ組を退団
2005年 『救命病棟24時』などの人気ドラマで評価を高める

デビューから『水曜どうでしょう』開始まで、わずか1年です。そのあいだも劇団に入り、教職課程を履修し、演劇研究会の公演にも立っていました。

こうして年で区切ると、若い頃の大泉洋さんが同時に何本もの線を走らせていたことが見えてきます。二浪という遅れを、入学後の密度で取り返しにいった時期だったといえます。

大泉洋の若い頃と現在までのまとめ

  • 1973年4月3日に北海道江別市で生まれ、小学5年から札幌市南区真駒内で育つ
  • 札幌藻岩高校を卒業後に2浪し、1994年に北海学園大学経済学部経済学科へ入学
  • 志望校ではなかった落ち込みから奮起し、演劇研究会で森崎博之さんら4人と出会う
  • 在学中に高等学校地理歴史の教育職員免許状を取得し、母校で教育実習も経験
  • 1995年に劇団イナダ組へ入団し、2004年まで舞台に立ち続けた
  • 1995年10月『モザイクな夜V3』でデビューし、1996年10月『水曜どうでしょう』へ
  • 1996年にTEAM NACSを結成、いったん解散を経て1997年8月に再結成
  • 若い頃は細身でストレートに近い髪型、現在の天然パーマとは印象が異なる

こうして並べてみると、大泉洋さんの若い頃は「思いどおりにいかなかった時間」から始まっていることが分かります。二浪、第一志望ではない大学、そして偶然入った演劇サークル。

そこで出会った仲間と、たまたま声をかけてきたローカル局。どれか一つ欠けていたら、今の姿はなかったのでしょう。あの飄々とした喋りの裏には、回り道を重ねた学生時代がしっかり残っています。

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