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俳優の竜星涼さんは、どんな学生時代を過ごし、どこの学校を出たのでしょうか。小学校から高校まで、学歴が気になって検索した方も多いと思います。
小学校・中学校・高校の校名は、本人の発言や大手報道では確認できませんでした。
ただ、学生時代を過ごした西東京市・田無に母校があること、高校2年生の2009年に原宿でスカウトされたこと、2011年3月に高校を卒業して俳優の仕事一本に絞ったことは、本人の言葉や報道で確認できます。
この記事では、確認できた範囲だけで、竜星さんの学歴と学生時代を時系列で整理します。
目次
竜星涼の学歴|校名の確認状況と小学校・中学校時代
- 学歴の基本情報と出身地
- サッカーとバスケの部活動
- 小学生の頃に憧れたパティシエ
まずは、確認できた学歴の全体像と出身地、小学校から中学校までの様子を見ていきます。
学歴の基本情報と出身地
竜星涼さんは1993年3月24日生まれの俳優です。事務所の公式プロフィールでは、出身地は東京都となっています。2010年4月期のフジテレビ系ドラマ『素直になれなくて』で俳優デビューし、2011年3月に高校を卒業しました。
学歴について分かっていることを、先に一覧にしておきます。
| 小学校・中学校 | 校名は確認できず(小学校から中学校までサッカーに打ち込んだ) |
| 高校 | 西東京市・田無にある母校(校名は確認できず) |
| 高校時代の部活 | 念願のバスケ部に入ったが、続けられず辞めた |
| スカウト | 2009年、高校2年生のときに原宿の竹下通りで |
| 俳優デビュー | 2010年4月期のドラマ『素直になれなくて』 |
| 高校卒業 | 2011年3月 |
| 大学 | 進学したかどうかは確認できず |
小学校・中学校・高校の校名は、本人の発言にも事務所の公式プロフィールにも大手報道にも出てきませんでした。インターネット上には具体的な校名を挙げる記事がいくつもありますが、出典が示されておらず、裏付けは見つかりませんでした。この記事では、確認できない校名は紹介しません。
なお、本名の名字も公表されていません。2025年2月9日に放送された日本テレビ系『おしゃれクリップ』で、竜星さんは「竜星っていうのは、実際本名の下の名前なんで」と明かしました。名字が分からない以上、本名から学校をたどることもできません。
出身地は東京都か山形県か
出身地は、媒体によって書き方が分かれています。研音の公式プロフィールは「東京都」で、その後の所属先の公式プロフィールも同じです。ORICON NEWSの紹介文も「東京都出身」と書いています。
一方、2023年9月22日のモデルプレスは、TBS系日曜劇場『VIVANT』で竜星さんが演じた公安の新庄浩太郎という役名に触れ、「実は山形県新庄市出身」と報じました。役名と出身地が重なると話題になったそうです。スポニチやタワーレコードのプロフィールにも「山形県新庄市出身の俳優。東京で育ち」と書かれています。
さらにスポニチのプロフィール欄では、出身地が「東京都武蔵野市」と市まで書かれています。山形県新庄市の出身で東京育ち、という紹介だと受け取れますが、本人が出生地や育った経緯を語った発言は見つかりませんでした。
事務所の公式プロフィールは出身地を東京都としているため、この記事も「東京都出身」を基本に書いています。山形県新庄市という情報は、報道で紹介されている話として受け止めるのが安全です。
学生時代を過ごした場所として、本人の訪問が番組で紹介されているのは西東京市・田無です。これについては、高校時代の項目で詳しく見ていきます。
サッカーとバスケの部活動
学生時代の竜星さんは、スポーツに打ち込んでいました。2011年にワニブックスの『プラス アクト』で受けたインタビューで、部活は何をしていたのかと聞かれ、次のように答えています。
「小学校から中学まではサッカーをやってました。バスケも凄く好きでやりたかったんですが、中学にバスケ部がなくて。それで中学でも小学校の延長でサッカーをやりました。高校では念願のバスケ部に入ったんですが、続けることが出来なくて。楽しかったんですが、辞めてしまいました」
小学校から中学校までサッカーを続け、高校では念願だったバスケ部に入ったものの辞めたことが、本人の言葉で分かります。辞めた理由や時期は、このインタビューでは語られていません。
サッカーについては、2018年のABEMAのインタビューでも「サッカーは、小学校から中学校までずっとやっていました。」と話しています。サッカーをしていた頃は女の子も一緒にプレーしていて、その子に負けてショックだったそうです。その相手は、なでしこジャパンのメンバーとして知られる岩渕真奈さんだったと明かしました。
「相当レベルが高い環境だったと思います。でも、僕はみんなで楽しくサッカーやっているくらいが一番好きだなって気づいてしまって。」と振り返り、「僕なんかより周りのみんなが本当に上手かったので、挫折してしまったんです」とも語っています。
2018年には、テレビ朝日のドラマで元サッカー日本代表の岡野雅行さんの高校時代を演じました。インタビューの聞き手からは、サッカー経験者らしくボールの扱いにも慣れた印象だと言われています。
『プラス アクト』のインタビューでは、聞き手に「挨拶がとても丁寧で礼儀正しいですね」と言われる場面もありました。竜星さんは「学生時代も、ひとつ上の先輩達には敬語を使わないと怒られる環境でしたし」と話し、「でも中学・高校の部活は規律が厳しかったから、その時はしっかりやってました」と続けています。礼儀正しさの背景には、規律の厳しい部活で過ごした中学・高校時代があったようです。
小学生の頃に憧れたパティシエ
同じインタビューで「俳優じゃなかったら、何になろうと思っていたんですか?」と聞かれた竜星さんは、意外な夢を明かしています。
「ドラマ『アンティーク~西洋骨董洋菓子店~』の影響なんですけど、小学生の頃からパティシエに憧れていて、高校を卒業したらパティシエの専門学校に行こうと思ってました。」
憧れていたのはケーキの味よりも、見た目の美しさや造形の美しさだったといいます。聞き手から「イメージしたものを美しく仕上げる作業や、色んなことを想像するのは好きなんですね」と言われると、「はい、好きです。」と答えていました。
小学生の頃の思い出も語っています。「小学生の頃はある程度高い建物の上に行って、そこから景色を眺めていました、色んな高いところに上りましたね。」とのことで、「とにかく上から見ると綺麗で“美”を感じるんです。」と話しました。
専門学校に進むつもりだった進路は、スカウトをきっかけに俳優の道へ向かいました。
UR都市機構の広報誌のインタビューでも、役者でなかったらの質問に「パティシエになっていたと思います。」と答えています。きっかけは子供の頃に観たドラマで、「作品自体がとても美しくて憧れました。」と話しました。
創作で一番大事にしているのは「美しいこと」だとも語っています。続けて、学生の頃の気持ちをこう語っています。「ただ、学生の頃、パティシエになってパリに行って、とシミュレーションしてみたら、いや違うなと感じたことがあって(笑)。ちょうどその頃にスカウトしていただき、この世界に飛び込みました。」
2025年10月30日のトークイベントでも、パティシエを目指していた過去に触れ、「学生の頃ですけどね。何かを作るってことは、自分が目指していた場所だった。」と振り返っています。パティシエへの憧れは、学生時代の竜星さんにとって大きな夢だったことが分かります。
このパリへの思いは、のちにモデルとしてパリ・コレクションに出演する話へとつながっていきます。
竜星涼の学歴と高校時代|田無の母校からスカウト、卒業後の進路まで
- 田無の母校とおちゃめな高校生活
- 原宿のスカウトと『成りあがり』
- 勉強と仕事を両立した高校生活
- 卒業後の進路とパリコレ出演
- 竜星涼の学歴まとめ
ここからは、高校時代のエピソードと、卒業後の進路、パリ・コレクションまでの歩みを見ていきます。
田無の母校とおちゃめな高校生活
高校については、校名は確認できませんが、学生時代を過ごした場所は分かります。2025年2月9日に放送された日本テレビ系『おしゃれクリップ』の「地元クリップ」で、竜星さんは学生時代を過ごした西東京市・田無を訪れました。番組初となる、ゲスト自らのロケでした。
紹介記事によると、思い出の詰まった母校に足を運び、俳優として活動しながら高校生として過ごしていた当時の様子を、高校時代からの親友とともに振り返る内容です。放課後に通っていたというカラオケ店も巡り、当時はできなかった青春に思いをはせる場面もあると紹介されています。
日本テレビの紹介記事は、竜星さんが学生時代を過ごした場所を西東京市・田無と伝えています。
ただし、日テレNEWS、ORICON NEWS、映画ナタリー、ぴあ映画の紹介記事のどれにも、母校の校名は書かれていませんでした。番組の本編は確認できていないため、この記事では紹介記事で分かる範囲にとどめます。
高校時代の人柄については、2017年のORICON NEWSのインタビューで本人が語っています。映画『先生! 、、、好きになってもいいですか?』で高校生役を演じた竜星さんは、自身はどんな高校生だったかと聞かれ、こう答えました。
「おちゃめな高校生だったと思います(笑)。もともと明るい性格なので、そのままな感じです。静かではないタイプで、落ち着きがなくて騒がしかったと思います。誰よりも声が響くような、そんな高校生でした。でも、学校行事に関しては、なぜかカッコつけて“面倒くさい”っていう顔をしたりしていて。でも、心の中ではワクワクして楽しんでるという感じでした」
「誰よりも声が響くような、そんな高校生でした」と振り返るほど、明るくて騒がしい高校生だったようです。
学校行事ではカッコつけて面倒くさそうな顔をしながら、心の中では楽しみにしていた、というのも高校生らしい素顔です。
高校生らしいエピソードは、2018年のABEMAのインタビューにもあります。サッカーの長友佑都選手がFC東京に所属していた頃、駅のロータリーで偶然会い、「写真撮ってください!」とお願いしたそうです。当時の竜星さんは高校生でした。
ところが、ツーショットを撮れる流れになったのに「あっ、そのままで!」と言って、ガラケーで長友選手だけを撮らせてもらいました。「失礼だったなぁ」と、とても反省しているそうです。
原宿のスカウトと『成りあがり』
竜星さんが芸能界に入るきっかけは、2009年、高校2年生のときに原宿の竹下通りでスカウトされたことです。
2025年5月に公開されたラジオ番組の記事で、竜星さんは「2009年の秋頃、原宿の竹下通りでスカウトされたことをきっかけにレッスンに誘われたのですが」と振り返っています。モデルプレスの2016年のインタビュー記事は「高校2年生の夏」と書いており、季節は資料によって分かれます。報道の中には高校1年生の頃と書くものもありますが、本人は2023年のイベントでも「俺、ちょうど高校2年生のときに竹下通りでスカウトされたので」と話しています。
スカウトの少し前、竜星さんは進路をはっきり決められずにいました。2020年のORICON NEWSのインタビューでは、当時をこう語っています。
「当時は、そこまで勉強もしていなくてフラフラしていました。」「まだ学生だったこともあり、「自分は将来どういう職業に就いてどうなるのかな」と漠然と考えていて」
そんなとき、母親から矢沢永吉さんの自伝『成りあがり』を渡されます。竜星さんは「まあ投げつけられたという方がしっくりくるんですけど(笑)」と笑って話しました。朝日新聞系のウェブ記事によると、高校2年の夏のことで、竜星さんは「他にすることもないから、黙って読んでみたら、一瞬で昭和の時代にタイムスリップしてしまいました」と振り返っています。
読み終えて「自分も“スター”になれるものを見つけなきゃいけない」と思ったそのタイミングで、スカウトされたと本人が語っています。
実際には「読んでいると太陽のような熱さ、熱量みたいなものを感じて、自分も“スター”になれるものを見つけなきゃいけないと思い、実はそのタイミングでこの世界にスカウトされました。」という言葉です。『成りあがり』は、その後も竜星さんにとって大切な一冊になっています。
スカウトされたときの話は、モデルプレスのインタビューに詳しく残っています。「竹下通りで声を掛けられて、名刺もらいました。『ビーチボーイズ』が好きだったので、反町隆史さんと竹野内豊さんの名前があって『おー!会えるかも』って」。『プラス アクト』では、スカウトされたときは「正直に言うとそんなに興味がなかったんです」とも明かしています。
興味のなかった芸能界に飛び込むきっかけは、名刺の裏に好きなドラマの出演者の名前が並んでいたことでした。
レッスンに通い始めると、話は急に進みます。2回目のレッスンでは、翌年の春と夏のドラマが決まったと告げられ、「芸名もこれでいくから」とも言われました。「俺、まだ俳優をやるなんて言ってないのに…」というところからのスタートだったそうです。2010年1月に研音へ所属しました。
通ううちに、気持ちも変わっていきます。「演技のレッスンを受けていくうちに、演技が楽しいなと思えたんです。」と話し、進路については「ちょうど進路に迷い始める時期だったので、やりたいことが見えてきてよかったなって気持ちがありました。」と語っています。
勉強と仕事を両立した高校生活
研音に所属した竜星さんは、2010年4月期のフジテレビ系ドラマ『素直になれなくて』で俳優デビューしました。2011年3月の高校卒業から数えると、デビューは高校生活最後の1年にあたります。続けて『ハンマーセッション!』『秘密』にも出演し、3クール連続でドラマに出ました。
この頃の高校生活について、2018年のABEMAのインタビューではこう話しています。「高校二年生くらいでスカウトをきっかけに芸能界に入ったので、高校生活の最後の方は勉強と仕事を両立しながら過ごしていました。」同級生が竜星さんの出演作を観てくれたそうで、「高校生って思春期なのに「僕のキスを公開するなんて!」って恥ずかしかったです。」と笑って振り返っています。
デビュー作の現場の様子も、ラジオ番組で語っています。当時高校生だった竜星さんは、共演者の上野樹里さんを前に「うわ! 上野樹里がいる! すごい!」と目を輝かせていたそうです。
デビュー当時は、学園ものに出演することが多かったといいます。モデルプレスのインタビューでは、「実生活でも同級生の役者たちが、演技でも同級生を演じる。何がリアルなのか、分からなくなることがあって。俺は普通の学校に通っていたので、周りに芸能人がいるっていうのは、すごく不思議な感覚でした」と語っています。
仕事が忙しくなっても、学生時代の友人は大切にしてきました。2018年のABEMAのインタビューでは、学生時代の親友とよく遊ぶと話しています。「普通の感覚って一番大切だと思う。遊んでくれる親友がいて本当にありがたいです。」
「芸能人になる前の僕を知っていて変わらず接してくれるから、親友たちには感謝しています」と、学生時代の友人への思いも語っています。
3月24日生まれの竜星さんは、誕生日が春休みと重なっていたため、「友達に祝ってもらった経験ってあまりなかったんです」とも話しています。学生時代の思い出として、本人が挙げたエピソードです。
卒業後の進路とパリコレ出演
竜星さんは、2011年3月に高校を卒業しました。『プラス アクト』のプロフィールには、4月期のドラマ『リバウンド』から役者一本になったと書かれています。
卒業後の最初のドラマについて、竜星さんはこう振り返っています。「高校を卒業して、これから俳優の仕事一本で行こうと心に決めた最初のドラマだったんで、少しプレッシャーがあったのかもしれません。」この現場ではセリフが出てこなくなり、それがトラウマになったといいます。
それでも気持ちは揺らぎませんでした。「でも、この役者という仕事がなくなったら、生きていけないという自覚が生まれました。」と話しています。
高校を卒業した竜星さんは、俳優の仕事一本で行くと心に決めて『リバウンド』に臨みました。
大学に進学したかどうかは、本人の発言や大手報道では確認できませんでした。インターネット上には「大学には進学していない」と書く記事もありますが、本人がそう語った記録は見つかりませんでした。確認できるのは、高校卒業後に俳優の仕事一本で行くと心に決めた、という本人の言葉までです。
高校を卒業したらパティシエの専門学校に行こうと考えていた進路は、こうして俳優一本に変わりました。それから2年後の2013年には、『獣電戦隊キョウリュウジャー』のキョウリュウレッド/桐生ダイゴ役に抜てきされ、注目を集めました。
俳優として歩み始めた竜星さんは、モデルとしても活動の幅を広げます。2016年1月21日、フランス・パリで行われたヨウジヤマモト オムの2016-2017年秋冬パリ・コレクションに出演し、パリコレデビューを果たしました。
この挑戦は、単身でした。モデルプレスのインタビューによると、話が舞い込んだのは前年の11月末です。1月19日に現地入りし、20日がオーディション、21日がランウェイでした。
もともと好きだったブランドで、竜星さんは「航空券もホテルもない、行くなら1人、それでもランウェイを歩ける可能性は、50:50でした。」と振り返っています。
オーディションでは、15mほどの距離を3人で歩きます。有名ブランドの広告に出ていたモデルが次々に落とされていくのを見て、「俺、終わったな」と思ったそうです。それでも歩き切り、ランウェイに立ちました。
出演後には、ORICON NEWSの記事で「一つの夢であり、憧れの舞台を歩けた」と語っています。モデルプレスのインタビューでは、「行く前は『役者なのに』って言う思いがどこかにあったんです。」と明かしたうえで、「あの場所で認めてもらえたってことで、ジレンマがなくなって」前向きになれたと話しました。「俳優だからってことに縛られることなく、“表現者”として好きなことにチャレンジしていきたい」とも語っています。
2017年1月22日には、Y-3の2017-2018年秋冬コレクションで2度目のパリコレに出演しました。映画.comの記事によると、竜星さんは「とても有意義でぜいたくな時間でした」と振り返っています。
パリは、パティシエになってパリに行く、と学生時代の竜星さんが思い描いた街でもあります。UR都市機構の広報誌のインタビューでは、子供の頃の夢とは違う形でパリに行くことができたと、笑って話しました。
竜星涼の学歴まとめ
竜星涼さんの学歴と学生時代について、確認できたことをまとめます。
- 1993年3月24日生まれ。事務所の公式プロフィールでは東京都出身で、山形県新庄市出身と紹介する報道もある
- 小学校・中学校・高校の校名は、本人の発言・事務所・大手報道では確認できなかった
- 小学校から中学校までサッカーに打ち込み、高校では念願のバスケ部に入ったが辞めた
- 小学生の頃からパティシエに憧れ、高校卒業後は専門学校に行くつもりだった
- 学生時代を過ごした西東京市・田無に母校があり、2025年2月放送の番組で訪れた
- 高校2年生の2009年に原宿の竹下通りでスカウトされ、2010年4月期のドラマで俳優デビュー
- 2011年3月に高校を卒業し、俳優の仕事一本の道に進んだ
- 大学に進学したかどうかは確認できなかった
- 2016年と2017年にパリ・コレクションに出演した
校名は分からなくても、パティシエを夢見たサッカー少年が、高校2年の原宿で人生を変えたという流れははっきり見えてきます。これからの活躍にも注目です。
