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綾戸智恵さんの息子イサさんが難病を抱えていると知り、その病名や現在の様子が気になる方は多いのではないでしょうか。
結論から言うと、イサさんが患ったのは指定難病の「好酸球性副鼻腔炎」で、嗅覚を失いながらもコーヒー焙煎士として歩んでいます。
この記事では、綾戸智恵さんの息子イサさんの難病の正体や発症の経緯、そして難病を乗り越えた現在の姿まで、公開されている情報をもとに詳しく解説します。
目次
綾戸智恵の息子イサさんの難病|好酸球性副鼻腔炎とは
- 難病「好酸球性副鼻腔炎」とは
- 発症した時期と主な症状
- 整備工の夢を断念した理由
- 難病に指定された背景
| 息子の名前 | イサさん(1990年生まれ) |
| 難病の病名 | 好酸球性副鼻腔炎(国の指定難病) |
| 発症した時期 | 2014年ごろ |
| 主な症状 | 鼻茸の多発・嗅覚障害・味覚への影響 |
| 現在の活動 | コーヒー焙煎士「まいど屋アフロ珈琲」 |
まずは、イサさんが抱える難病がどのような病気なのかを整理していきます。
名前だけでは想像しにくい病気ですが、症状を知ると、なぜイサさんの人生が大きく変わったのかが見えてきます。
難病「好酸球性副鼻腔炎」とは
イサさんが診断されたのは、好酸球性副鼻腔炎(こうさんきゅうせいふくびくうえん)という病気です。
これは副鼻腔炎の一種で、鼻の奥にある副鼻腔に「鼻茸(はなたけ)」と呼ばれるポリープがいくつもできてしまう病気です。
鼻茸が増えると鼻づまりが続き、においを感じる神経まで影響が及ぶため、嗅覚障害が起こりやすくなります。一般的な蓄膿症とは違い、好酸球という白血球の一種が深く関わっているのが特徴です。
やっかいなのは、手術で鼻茸を取り除いても再発しやすいという点です。一度きりの治療で完治するというより、付き合い続ける必要のある病気とされています。だからこそ、国も特別な対応が必要な病気として位置づけているのです。
この病気は子どもよりも大人になってから発症することが多く、ぜんそくを合併しやすいことも知られています。きっかけがはっきりしないまま、ある日突然鼻の不調から始まることも少なくありません。健康だった若い世代が当事者になり得るという点が、好酸球性副鼻腔炎の見過ごせないところです。
発症した時期と主な症状
イサさんがこの病気を発症したのは、2014年ごろのことでした。
当初は鼻づまりや副鼻腔炎のような症状から始まったとされますが、次第ににおいをまったく感じられなくなり、嗅覚を失ってしまいました。
嗅覚は味覚とも深く結びついているため、においがわからなくなると食事の味も感じにくくなります。日常生活の中で「おいしさ」を支える感覚を失うことは、本人にとって想像以上に大きな出来事だったはずです。
母である綾戸智恵さんも、テレビ番組などでこの病気について語っており、親としての心配がにじむエピソードが知られています。元気に見える若者が、ある日突然こうした病気と向き合うことになる――それが好酸球性副鼻腔炎の難しさでもあります。
整備工の夢を断念した理由
難病の発症は、イサさんの将来の夢にも大きな影を落としました。
当時のイサさんは、自動車の整備工になることを目指して勉強していたといいます。手に職をつけ、車に関わる仕事で生きていこうとしていた矢先のことでした。
ところが整備の現場では、においを感じ取れることが安全に直結します。ガソリン漏れなどの異変は、においで真っ先に気づくことが多いからです。
嗅覚を失ったイサさんがその現場に立つことは、本人にとっても周囲にとっても危険を伴います。指導していた先生も、涙ながらに整備工の道を考え直すよう伝えたと伝えられています。夢を諦めざるを得なかったイサさんの悔しさは、計り知れないものがあったでしょう。
難病に指定された背景
好酸球性副鼻腔炎は、2015年から国の指定難病(特定疾患)に加えられました。
指定難病とは、原因がはっきりせず、治療法が確立していないうえに、長く付き合う必要がある病気のことを指します。一定の基準を満たすと、医療費の助成が受けられる仕組みになっています。
イサさんが発症したのはちょうど難病指定の前後で、再発を繰り返しやすいこの病気の難しさが、社会的にも認識されはじめた時期でした。「難病」という言葉の響きは重いものですが、それは決して珍しい病気ではなく、同じように悩む人が全国にいるということでもあります。
綾戸智恵の息子が難病を乗り越えた現在|焙煎士への道
- 不登校から屋久島転校までの歩み
- 焙煎士を志したきっかけ
- まいど屋アフロ珈琲の現在
- 母との支え合いの日々
- 息子の難病についてまとめ
難病で夢を断たれたイサさんですが、その後の人生は決して暗いものではありません。
ここからは、難病とどう向き合い、どのように今の道へたどり着いたのかを見ていきます。
不登校から屋久島転校までの歩み
イサさんの歩みは、難病以前から決して平坦ではありませんでした。
父がアフリカ系アメリカ人で、日本の小学校に入学した当初、イサさんは見た目の違いからいじめを受け、入学してまもなく不登校になってしまいます。その期間は数年に及び、母の綾戸智恵さんは自宅で勉強を教えながら息子を支え続けました。
転機となったのが、小学5年生のときに参加した登山家・野口健さん主催の屋久島合宿でした。わずか数日間、屋久島の子どもたちと森を歩くなかで、イサさんは「ここの学校で友達と勉強したい」と自ら口にしたといいます。
その言葉を受け、綾戸智恵さんは役所に駆け込んで転校を実現させました。大自然のなかで過ごした屋久島での日々は、内にこもっていたイサさんの心を大きく開く時間になったのです。難病と向き合う前から、イサさんは困難を乗り越える力を少しずつ育んでいたといえます。
焙煎士を志したきっかけ
整備工の夢を諦め、嗅覚も失ったイサさんに、思いがけない出会いが訪れます。
きっかけは、同じ好酸球性副鼻腔炎を抱える南米出身の人物から届いた一通のメールでした。そこには「自分もにおいを感じないけれど、目と耳を使ってコーヒーの焙煎をしている」と書かれていたといいます。
においに頼らず、豆の色の変化や、はぜる音を頼りに焙煎できる――その事実は、嗅覚を失って落ち込んでいたイサさんにとって大きな希望になりました。
イサさんはすぐに焙煎の勉強を始めます。においがわからないというハンデを、観察力と集中力で補う道を選んだのです。失ったものを数えるのではなく、残された感覚でできることを探したイサさんの前向きさが、新しい人生の扉を開きました。
コーヒーの焙煎は、豆がはぜる「パチパチ」という音や、刻々と変わる色合いで仕上がりを見極める繊細な作業です。嗅覚に頼れない分、イサさんは音と色をだれよりも丁寧に観察するようになったといいます。同じ病気を持つ人からの一通のメールが、絶望を希望へと変える転機になったのです。
まいど屋アフロ珈琲の現在
焙煎の技術を磨いたイサさんは、2017年に自身のコーヒーブランド「まいど屋アフロ珈琲」を立ち上げます。
嗅覚に頼らず、豆の色と音、そして経験を積み重ねて焙煎したコーヒーは、多くの人に届けられるようになりました。同じ年の11月15日には、母の綾戸智恵さんとともに「徹子の部屋」に出演し、新しく始めたコーヒーの仕事について語っています。
イサさんは「母の音楽のように、自分のコーヒーを飲んだ人にいい心持ちになってもらいたい」という思いを語っていたと伝えられています。難病によって夢を失った青年が、別の形で人を幸せにする仕事にたどり着いた――その姿は、多くの人を勇気づけるものでした。
「まいど屋」という親しみやすい屋号には、関西出身の母子らしい人なつっこさがにじんでいます。難病を抱えながら一杯のコーヒーに向き合う姿勢は、味そのものだけでなく、その背景の物語にも多くのファンを惹きつけてきました。
嗅覚を失ってもなお、人の心を温めるコーヒーを届けようとするイサさんの歩みは、難病という言葉のイメージを静かに塗り替えています。
母との支え合いの日々
イサさんの人生を語るうえで、母・綾戸智恵さんの存在は欠かせません。
綾戸さんは元夫のDVによって離婚し、シングルマザーとしてイサさんを育ててきました。さらに自身の乳がん闘病や、実の母親の介護まで重なり、決して楽な日々ではなかったといいます。
綾戸智恵さんは高校時代に渡米し、アメリカのライブハウスや教会でピアノと歌を磨いた経歴の持ち主です。帰国後、40歳という遅咲きでアルバムデビューを果たし、紅白歌合戦の舞台にも立ちました。生活のために英語教師や給食の調理員として働きながら息子を育てた時期もあり、その強さが歌声の説得力にもつながっているといわれます。
それでも綾戸智恵さんは、いじめや不登校、そして難病という困難のたびに、息子のそばに立ち続けました。屋久島への転校を実現させたのも、難病後の挑戦を見守ったのも、この母子の強い絆があったからこそでした。
支えられる側だったイサさんは、今では自分の手で焙煎したコーヒーを届ける側になっています。困難を分かち合いながら歩んできた母子の物語は、見る人の心を打つものがあります。
綾戸智恵の息子の難病についてまとめ
- 綾戸智恵さんの息子イサさんは、難病の好酸球性副鼻腔炎を患った
- 鼻茸の多発と嗅覚障害が主な症状で、手術しても再発しやすい
- 発症は2014年ごろで、2015年から国の指定難病になった
- 嗅覚を失ったため、目指していた自動車整備工の夢を断念した
- 同じ病気の焙煎士からのメールをきっかけにコーヒー焙煎の道へ進んだ
- 2017年に「まいど屋アフロ珈琲」を立ち上げ、現在も活動している
- 幼少期のいじめ・不登校・屋久島転校も、母との絆で乗り越えてきた
嗅覚という大切な感覚を失いながらも、イサさんは残された力で新しい生き方を見つけました。難病に向き合う息子と、それを支え続けた綾戸智恵さん。二人の歩みは、困難の中にも前を向く道があることを静かに教えてくれます。

