小手伸也の若い頃は細身だった!ごくせんの記者役から40代ブレイクまで

小手伸也の若い頃は細身だった!ごくせんの記者役から40代ブレイクまで

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小手伸也さんの若い頃はどんな姿だったのか、気になって検索された方が多いのではないでしょうか。

先に結論をお伝えすると、2002年の『ごくせん』に出演していた当時の小手伸也さんは、今よりずっとスマートな体型でした。

そして、その頃はまだ舞台とアルバイトで生活をつないでいた無名の役者で、名前が知られるまでにはさらに14年かかっています。

この記事では、学生時代から下積み、そして40代でのブレイクまでを年代順に整理していきます。

小手伸也の若い頃は舞台一本|ごくせん出演時までの歩み

まずは、演劇と出会った高校時代から『ごくせん』に映った頃までを追っていきます。

  • 高校で演劇に出会うまで
  • 2浪して早稲田へ進む
  • 在学中に劇団を旗揚げ
  • ごくせんでは記者役だった
  • 公開写真に驚きの声

高校で演劇に出会うまで

小手伸也さんは1973年12月25日生まれで、神奈川県出身です。

先に、若い頃から現在までの歩みを一覧にしておきます。

生年月日 1973年12月25日
出身 神奈川県
高校 都立竹早高校(東京都文京区)
大学 早稲田大学教育学部(2浪で入学・1999年3月卒)
劇団 1997年に劇団innerchildを旗揚げ
初ドラマ 2001年『HERO』の現場リポーター役
ごくせん 2002年・第1シリーズ第11話の記者役
ブレイク 2016年『真田丸』を経て2018年に一気に

通っていたのは東京都文京区にある都立竹早高校で、1899年開校の伝統校にあたります。ここでの過ごし方が、かなり変わっていました。

1年生でバスケットボール部に入ったものの早々に退部し、その後はコーラス部の助っ人として合唱コンクールに出たり、山岳部の手伝いをしたり、コンピューター研究同好会に在籍したりしています。演劇部にも助っ人として関わり、舞台に立った経験もありました。

本人はこの時期を「いろんな部活に顔を出す変な奴」だったと振り返っています。ひとつに絞らず、面白そうな場所に顔を出す性格が当時からあったわけです。

高校時代に届いた1枚のDMが、小手伸也さんの進路を決めることになりました。

送られてきたのは早稲田大学の劇団「カムカムミニキーナ」の公演案内でした。実際に足を運んで舞台を観たところ強い衝撃を受け、演劇をやるならこのサークルだと思い込むまでになります。この劇団には俳優の八嶋智人さんが在籍していました。

2浪して早稲田へ進む

高校で目標が決まってからの行動が、また徹底しています。

小手伸也さんは、演劇をやるために2年の浪人を経て早稲田大学教育学部に合格しています。

推薦などではなく一般受験での入学でした。目当ての劇団があるのは早稲田だけなので、他の進路に切り替えるという発想がなかったことになります。

浪人していた時期には、エキストラのアルバイトも経験しています。受験勉強をしながら、撮影現場の空気に触れていたわけです。

こうして入った大学では演劇倶楽部に所属し、加えてテニスサークルやアイスホッケー同好会にも顔を出していました。高校時代と同じで、活動の幅が広いままです。

入部先が憧れの劇団そのものではなく、その母体からもう少しカジュアルな形で活動していたサークルだったという点も語られています。目標の場所に飛び込みながら、まずは基礎を学ぶ場を選んだことになります。

学業のほうも手を抜かず、留年せずに1999年3月に卒業しています。2年の遅れを取り戻すように、大学生活そのものは4年で終えました。

在学中に劇団を旗揚げ

大学時代の大きな転機が、自分の劇団を持ったことです。

1997年、大学在学中に劇団innerchildを旗揚げしています。

作家・演出家・俳優を兼ねる立場で、心理学や日本神話をモチーフにした作品を手がけてきました。日本神話、とくに古事記への造詣が深く、後年には講演を行うほどになっています。

つまり小手伸也さんの若い頃は、俳優としてオーディションを受け続ける下積みというより、自分で書いて演出して出演する舞台人としての時間でした。テレビの世界からは遠い場所にいたことになります。

劇団の名前にある「innerchild」は、内面に残る子どもの部分を指す心理学の言葉です。心理学や神話をモチーフに選ぶという劇作の方向性が、名前の時点で決まっていたことになります。

卒業を前にした選択も、そのまま演劇でした。親からは反対されたと語られていますが、就職はせず、アルバイトをしながら役者を続ける道を選んでいます。

同世代が就職活動をしている時期に、自分の劇団の公演を打っていたわけです。この選択が、この後の長い下積みにつながっていきます。

ごくせんでは記者役だった

映像作品への出演が始まるのは、大学卒業後しばらく経ってからです。

初めてのドラマ出演は2001年の『HERO』で、役柄は現場リポーターでした。木村拓哉さん主演の人気作ですが、出番はごく短いものです。

そして翌年、『ごくせん』第1シリーズ第11話に、記者役で出演していました。

仲間由紀恵さん主演の第1シリーズで、放送は2002年です。「小手伸也 若い頃」と検索したときに必ず出てくるのが、この『ごくせん』出演時の姿です。

役名も台詞も多くない出演ですが、後の知名度から逆に掘り起こされた形になります。この頃はまだ、ドラマではちょい役が中心の時期でした。

『ごくせん』第1シリーズは、後にシリーズ化されて長く続く人気作の出発点です。そこに記者役として1話だけ映っていた人物が、20年近く経ってから主要キャストとして呼ばれる俳優になったことになります。

当時の小手伸也さんの本業は、あくまで自分の劇団の舞台でした。テレビの仕事は年に数本の単発で、そこから役が広がっていく流れにはなっていません。

公開写真に驚きの声

『ごくせん』出演時の姿が改めて話題になったのは、2020年6月のことです。

本人が当時の写真を公開したところ、反応は「細っ!」という驚きと、「顔はそのまま」という指摘に集中しました。

輪郭がシャープで目元の印象が強く、写真によってはハーフのような雰囲気だと語られることもあった見た目です。現在のふくよかな風貌とは、シルエットがはっきり違います。

一方で、顔そのものは変わっていないという反応が多かったのも事実です。目が大きく彫りが深い顔立ちは、若い頃から一貫しています。

ブレイクしてから若い頃の姿が発掘されるのは珍しくありませんが、小手伸也さんの場合は本人が自分で出したところが少し違います。体型の変化をネタとして扱える人柄が、ここにも出ています。

小手伸也の若い頃から続いた下積み|40代でのブレイクまで

ここからは、名前が知られるようになるまでの長い時間を見ていきます。

  • コールセンターとの二重生活
  • 真田丸で訪れた転機
  • 2018年に一気にブレイク
  • 似ていると言われる2人
  • 小手伸也の若い頃とブレイクまとめ

コールセンターとの二重生活

若い頃から長く続いていたのが、舞台とアルバイトの二重生活です。

小手伸也さんは、通販番組のコールセンターでのアルバイトを2019年まで続けていました。

ここが驚かれる点です。2018年に話題作へ立て続けに出演した後も、電話を受ける仕事を辞めていなかったことになります。俳優のギャラだけでは生活が成り立たなかったと語られています。

1999年の卒業から数えると、20年近くこの生活が続いた計算です。舞台の稽古と本番、そのすき間にアルバイトのシフトが入る日々が、30代を丸ごと覆っていました。

通販番組のコールセンターという仕事も、舞台と両立させやすい面がありました。シフトの融通が利き、声だけを使う仕事なので顔が知られていく心配もありません。俳優として売れていないうちは、都合のいい働き方だったわけです。

この時期に結婚もしています。2011年のことで、まだ無名の舞台俳優だった頃です。生活の見通しが立たないまま家庭を持ったことになります。

若い頃の小手伸也さんを語るときに、この二重生活の長さは外せません。ブレイク後のインタビューでこの話が繰り返し出てくるのも、それだけ生活の中心を占めていたからです。

真田丸で訪れた転機

流れが変わったのは、40代に入ってからです。

2016年の大河ドラマ『真田丸』で塙団右衛門を演じ、名前が知られるようになります。

このときの演技が印象に残る形で受け止められ、主演の堺雅人さんや脚本の三谷幸喜さんとのつながりも、後の仕事につながったと語られています。

大河ドラマは出演者の数が多く、脇の役でも顔と名前が一致しやすい枠です。長く舞台で鍛えた芝居が、ようやく広い場所で見られたことになります。

塙団右衛門は、大坂の陣で名を上げた実在の武将です。荒々しさと愛嬌が同居するような役柄で、舞台で鍛えた声と体の使い方がそのまま生きる持ち場でした。

翌2017年には『仮面ライダーエグゼイド』にも出演し、天ヶ崎恋という役を演じています。ジャンルの違う作品にも呼ばれるようになった時期です。

40代に入ってから声がかかり始めたという順番は、若い頃に売れなかったことと表裏の関係にあります。年齢を重ねた分だけ似合う役が増えた、という見方もできます。

2018年に一気にブレイク

そして決定的だったのが2018年です。

2018年は『コンフィデンスマンJP』と『SUITS/スーツ』が重なった年でした。

『コンフィデンスマンJP』では五十嵐という役を演じ、この作品はその後も劇場版シリーズとして続いていきます。同じ年の『SUITS/スーツ』では蟹江貢役を務めました。

初のドラマ出演が2001年ですから、映像の世界に足を踏み入れてから17年目のブレイクです。舞台を始めた高校・大学時代から数えれば、さらに長い時間がかかっています。

本人はこの経歴を踏まえて、自分を「シンデレラおじさん」と呼んでいます。40代半ばで一気に知られた立場を、自分でそう言い表したものです。

その後は2021年の『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜』の冬木治朗役、2023年の大河ドラマ『どうする家康』の大久保忠世役と続きます。声優としても『遊☆戯☆王5D’s』のレクス・ゴドウィン役、『GREAT PRETENDER』の五十嵐役で知られています。

似ていると言われる2人

若い頃と現在の姿を並べて語られるとき、必ず出てくるのが「似ている人」の話です。

よく挙がるのが、アンタッチャブルの山崎弘也さんです。体型やシルエットが近く、テレビで並ぶと兄弟のように見えると言われます。

もう1人が、テレビ番組のプロデューサーとして知られる佐久間宣行さんです。大きめでぽっちゃりしたシルエット、毛深いところ、目がくりっとして彫りが深いところが共通していると指摘されています。

面白いのは、どちらも若い頃の写真とは結びつきにくい点です。スマートだった時期の小手伸也さんを見て、この2人を連想する人はまずいません。似ていると言われるのは、風貌が変わった後の姿についてです。

こうした話題を本人が拒まず、むしろ乗って笑いに変えているところも、ブレイク後の存在感につながっています。

小手伸也の若い頃とブレイクまとめ

最後に、この記事で確認できたことを整理します。

  • 1973年12月25日生まれ、神奈川県出身。都立竹早高校では部活を渡り歩いていた
  • 高校時代に早稲田大学の劇団の舞台を観て衝撃を受け、演劇を志す
  • 2浪して早稲田大学教育学部に入り、演劇倶楽部で活動。1999年3月に卒業
  • 1997年、在学中に劇団innerchildを旗揚げし、作家・演出家・俳優として活動
  • 2001年『HERO』で初のドラマ出演、2002年『ごくせん』第1シリーズに記者役で出演
  • 当時はスマートな体型で、2020年に本人が公開した写真に「細っ!」と反響
  • 通販番組のコールセンターのアルバイトを2019年まで続けていた
  • 2016年『真田丸』で注目され、2018年『コンフィデンスマンJP』『SUITS/スーツ』でブレイク

小手伸也さんの若い頃は、順調に売れていく役者の姿ではありませんでした。自分で劇団を立ち上げ、舞台を打ちながらアルバイトで生活を支える時間が20年近く続いています。

それでも演劇から離れなかった結果として、40代でのブレイクがありました。『ごくせん』に一瞬映っていた細身の記者役が、今の姿につながっているわけです。

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